締まりのない坊主だった。
定刻の9時になっても現れず、休みの日の朝っぱらから説教を聞きに集まった善男善女はぼぉ~っと待たされること5分、仕方なく主不在で読経が始まり、説教を担う坊主が姿を見せたのは10分が過ぎたころ。
残りの読経がさらに10分ほど続き、ようやく説教の時間に入ったのだが、いきなりパリのノートルダム寺院の話になり「焼け落ちた尖塔が木造だったなんて初めて知りました。てっきり石造りかと思っていた」と間の抜けた枕から入り、「大聖堂と比較していいのか分からないけど、わが円覚寺には国宝の舎利殿がありますから…」と展開し、何の話かと思えば「去年台風で裏山の木が倒れてきて舎利殿の屋根の一部が壊れたが、国が修理するので円覚寺の持ち出しは一切なし」という下世話なもの。
集まった善男善女はポカンとして聞いていたが、その間、定刻に遅れて来たことに対する詫びの言葉は一切なし。
このノートルダムと舎利殿の話が15分ほどもだらだら続き、聴衆の反応が今一つだと思ったのか、そこでようやく遅刻してきた話になった。
しかし、そこでも謝るわけでなく「瑞泉寺の和尚と4月と5月を入れ替えたのだが、それを失念していて手帳にも書いておかなかったので、本山からの電話で気づいて駆けつけてきたのです」と笑いを交えて言うものだから、その瞬間、「笑い事じゃないだろ! 」と怒気を含んだ大声が大方丈の内に響き渡った。
ボクの隣に座っていた、おそらく団塊の同世代かそれより一つか二つ上くらいの歳恰好の男性である。
坊主が姿を現さないときからチラチラ腕時計の見ていたようだから、さぞや時間に小うるさく、しかも気の短いご仁と思われる。
正直言うとボクも「おっ、よく言った! 」と思ったほどで、タイミングとしては絶好だったと思う。
それだから件の坊主も思わず話を止め、「その通りです」と反応せざるを得なかったのだが、その後もぐずぐずと言い訳を並べた後にようやく一言「御無礼しました」と加えただけだった。
その後、話は別の話題に移ったが、それも般若心経の一部を取り出してその意味をだらだら解説するだばかり。
ボクの隣の大音声のご仁は呆れたのかすぐに席を立って帰ってしまった。
よっぽど腹に据えかねたのだろう。
ボクもそういう点では厳しい方だと思うが、後半に坐禅があるので我慢していたし、時々下手くそで何を言わんとしているのかよく分からない話を聞かされることがないではないので、そんな時は耳も貸さずに瞑想するようにしていることもあるのだ。
こういう時、最初に一言、遅れて来たことを心から詫びておけば何でもなかったのだと思うのだが…
途中から言い訳めいたことを笑い話でもするかのように話すから見識を疑われる。
何様だと思ってるんだ。
修行が足りんね。
毎月第4日曜日は横田南嶺管長ではなく、円覚寺派の坊さんが持ち回りで話をしに来ているので、出来の良し悪しは歴然としてしまうのだ。
円覚寺の北西の外れにある立派な塔頭の住職だぜ、あれで。
ひょっとして世襲か?
それにしても出来の悪い坊主ですね、管長さん。
見て この新緑! 円覚寺居士林
鶴岡八幡宮の大イチョウ2世はだいぶ大きくなった
28日は「友引」だったからね。舞殿で結婚式に遭遇
大型連休2日目の鶴岡八幡宮は賑わっていましたナ
八幡宮へ続く段葛もこの賑わい