平方録

惆棖無人見 深林空自持

勤め人人生の最終盤に在籍した会社に、どういう風の吹きまわしか慕ってくれる後輩がいて、そのうちの2人が今年リタイアしたのをきっかけに「3人会」を結成したのだが、もう1人誘ってゴルフをやりましょうという誘いが舞い込んだ。
もとより断る理由もなく、車で20~30分ほどのごく近いゴルフ場でもあり、半年以上も握っていなかったゴルフクラブを手にする気になった。

もとより、成績なんぞは期待できるはずもなく、50歳半ばになって無理やり始めさせられたゴルフだが、足腰や背筋がしっかりしていたためか、300ヤードもかっ飛ばして悦に入っていた時もあったが、今ではその片鱗もなく、3分の2程度飛ばせればいい方だろう。
筋力や瞬発力の衰えは覆うべくもない現実なのである。

肉体の衰えを突き付けられるという情け容赦のない現実は現実として、日にちは7月7日だというから、天の川デートの七夕ゴルフということになり、雨が心配だが19番ホールが、つまりゴルフ後の酒宴が楽しみなのである。
筋肉を大いに働かせた後のアルコールは、心身に心地良い酔いと弛緩をもたらしてくれるのだ。
そして、18ホールを終えて、さんざんな目に遭って懲り懲りしていなければ、酔いに任せて年に1度の七夕ゴルフは例会にしようとか、イヤ、もう少しだけ頻繁にとか、そういうどうでもいい話題が出て、ひとしきり盛り上がるはずである。
野次馬の視線ながら、大げさに言えば常に天下国家を論じるくらいだった青年たちも他愛なく老けたものだが、これが世の常、スタンダードというものだろう。

少年易老學難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声

朱子学で有名な宋の朱熹の漢詩「偶成」を思い浮かべてしまった。
意味は敢えて掲げる必要もないくらいだろうから、割愛。

調子に乗って漢詩をもう一つ。
明の胡宗仁という詩人の「夏至対雨柬程孺文」(夏至、雨に対して程孺文さんに手紙を送る)という詩。

堂開垂柳下  黙黙坐移時
歳序一陰長  愁心両鬢知
雨簷蜘網重  風樹雀巣欹
惆棖無人見  深林空自持

しだれ柳のもと、邸の扉は開かれ、 じっと座って時を過ごす。
時の推移は、今日から夜の時間がのび、 愁いの数は、鬢(びん=髪)の白さで分かる。 
雨を帯びた軒先は、蜘蛛の巣が重そうであり、 風を受けた木には、雀の巣が傾いている。
わが嘆き悲しむ様子を見る者もいない、 この奥深い林で、1人寂しく自分の生き方を守っていく。

読みくだすと、こういう感じになるのだが、時の移ろいにはあがらうことも出来ず、なすすべなく年をとっていく現実に向き合うしかないんだ、と言っている。
若かりし頃はいざ知らず、今となっては、こういうのは心に沁みちゃうんである。



横浜イングリッシュガーデンのしだれ柳と池
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