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平方録

妻に宛てたラブレター

今朝はこんな一文から始めたい。
長くないから全文を引用する。

『夫婦の間では私の方がズボラなので、私が配偶者のあなたに要求する基準は低く、そして、あなたの私に要求する基準は高い。だからいつもあなたの基準に沿えない私だけが、一方的にダメ出しされることになる。その不条理を切々と訴えても、味方になってくれる友人はまわりにいない。孤立無援である。
聖書に、「夫たちよ、妻を愛しなさい」という文章があり、「愛は辛抱強く親切です」というくだりもある。それを踏まえたうえで、私は、これからも、耐えがたきを耐え忍び難きを忍ぶことを誓います。
ただ、妻よ、ひとつお願いしたい。あなたは人に寄り添って共感することで、コミュニケーションを取ろうとする人だ。そんなあなただからこそ、できるはずだ。あなたの私に対する基準を、体感で3ミリ程度でも結構ですから下げてください。一生のお願いです』

全国紙の「声」欄に2、3日前に掲載された、大分県で暮らす58歳の電気検針員さんの投稿である。

これを読む人の感想は様々だろう。
実際、ボクも様々なことを思った。
このヒト、切羽詰まっているようだけど奥さんを必要としているんだな、いっそ別れちまえなんて気持ちは微塵もないんだな…とか。
あるいは、自分自身をズボラと表現しているけれど、奥さんの性格や日常の行動、考え方や姿勢について注意深く観察していて、それを肯定しているじゃん…ということ。
熱心なクリスチャンなのかなとか、それにしても短い文章に悲痛さはなく、むしろユーモアを湛えた文章に仕上げているところなどは教養を感じさせて、只者じゃないんじゃないか…とか。

地方に暮らす人々にとって、最も身近な新聞はその土地で発行されている地元紙のはずである。
そんな中で、地方に行けば発行部数も限られている全国紙を選んで投稿した意図は何か…そんなところも気になると言えば気になる。
地元の人の目に出来るだけ触れたくなかったとか…ならばなぜ投稿なんかしたのか。
そもそもこの投稿にはフルネームが添えられていた。
正々堂々と自分の名前を名乗って投稿しているくらいだから、それなりの覚悟はあるのだろう。

お願いされた奥さんはこの投稿を首尾よく目にするだろうか…
そんなことも気になる。
いくら何でも書きっ放しっでいいとは思っていないはずである。
でも、読んでもらえなければ話は始まらない。
ひょっとして奥さんが気付かずに知らん顔でもし続けたら、この投稿の主は自分の投稿が載った紙面を奥さんに差し出しながらおずおずと「読んでみてくれる?」とかなんとか、遠慮がちに言うつもりなんだろうか。
そうだとするなら、普及率の高い地元紙だと弁当の包み紙代わりにされることも少なくないから、弁当を食べる人の目に触れやすくなり、第三者経由で奥さんに情報が伝わるような事もまた嫌なのかもしれない…とか。

ボクは読み終えた後、この投稿の主を応援したいと思った。
奥さんは「人に寄り添って共感することで、コミュニケーションを取ろうとする人」なんだそうだから、理解してくれるはずである。
きっとこの人口下手なんだよな。
待てよっ、そうかっ、これってラブレターか!


(見出し写真は北鎌倉・東慶寺のアジサイ)
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