長いと言ってもわずかに4分である。
明日はこれが2分縮まり、26日にはついに昼夜の時間が逆転して昼の時間は11時間59分と、12時間を割り込むことになる。
いよいよ秋の夜長の始まりである。
と言うと何か夜長を待ち望んでいたように受け取られるかもしれないが、全く逆で、これから一陽来復の冬至まで、どんどん昼の時間が短くなっていくのをオロオロした気持ちで過ごすかと思うと憂鬱でならない。
一陽来復となれば、寒さは募っても日ごとに日脚は伸びていくのだから、ボクにとっては希望の季節であり、赤い鼻緒の下駄を買ってもらったみよちゃんが春を待ちわびるのと同じ気持ちになるのだ。
ボクは小学生の3年生ごろから5年生まで小児喘息に悩まされてきた。
学校では秋になると遠足やら運動会やら楽しい行事が目白押しになるのだが、行事の前日まで元気に飛び跳ねていても、いざ当日の前々夜か前夜になると決まって気道が狭まる発作を起こすものだから呼吸がしずらくなって気管支をひゅうひゅう言わせながらもだえ苦しむことになるのだ。
横になったままではとても呼吸はかなわず、布団の上に置きあがって大きく口を開けてあえぐのだが、胸に入ってくる空気はわずかなもので、それでも必死にあえぎ続けるしかないのだ。
脇で寝ている母親が起き上がって背中をさすってくれるといくらか楽になるのだが、子どもはそれだけで体力を使い果たし、くたびれ果てるのを見計らうように、気道を狭める悪さをしていた副交感神経がその手を緩めると、疲れ果てたボクはようやく気を失ったように眠るのである。
空気を吸い込もうとあえいでいる間中、目尻に涙をにじませながら早く朝が来てくれないかとばかり思ったものである。
日が昇れば副交感神経の働きが鈍ると言うことを本能的に知っていたんだと思う。
というか、朝になれば発作が収まることを知っていたから、朝を待ち焦がれるのだが発作の起こる季節は決まって夜長の秋なのだ。
発作を起こすと意識はもうろうとしてくるのだが、そんな朦朧状態の中で、このまま息が出来ずに死んじゃうんじゃないんだろうか、ボクに明日の朝は来てくれるんだろうかと随分不安を感じたものなのだ。
秋の夜長のトンネルはとてつもなく長く、恐ろしかったんである。
だから喘息の発作を起こした3年間の楽しかるべき思い出はひとつも残っていない。行事のたびに休まざるを得なかったからである。
あの当時の肉体的な苦しさとボクには朝がやって来ないかもしれない、という恐怖感は今でも忘れることができない。
秋の夜長の始まりだなぁ…と思ったら、変なことを思い出してしまった。
6:11の東の空。どんよりした朝だ。4時過ぎの外気温は19.7度と20度を下回った。6:09に地震がありわずかだが揺れを感じた
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