7、8月辺りの夏の盛りに吹いてくるのであれば、ちょうどよく心地いい風なのだろうが、6月になりたてで、湿度も低くからっとしている中でじっと座っている身には、ちょっと肌寒いのである。
そもそも大方丈の屋根の下は、真夏でも案外涼しく感じられるものなのだ。
とはいえ、そこに大勢の人が集まるわけだから、おのずと人いきれというものが生じて温度が上がるのは間違いないが、それでも午前中の空気はまだ爽やかで、それほど苦労しなくても耐えられるのである。
じっと話を聞いている人々の頭上を、迷い込んだトンボがス―ッ、スーッと飛んだりするのである。
おまけに周囲の山々からはセミ時雨が聞こえてくるし、私は大好きなのだが、梅雨入り前のこの時期に変更になってしまったのが残念でならない。
さて、肝心の講座。横田管長の話は「無門関」第26則。7行ほどを1時間かけて説明してくれるのだ。
修行僧のための教則だから、この単元では修行僧に向かって「絶え間なく、油断なく心を保って修行することが大事だよ」と説いている。
そこで横田管長はわれわれ在家の人間に諭すのである。
「例えば、気が小さいから悪いわけではなく、太っ腹だから良いというわけでもない。だってそうでしょう、みんなが太っ腹になってしまったら、世の中どうなってしまいますか。そうではなくて、一人ひとりが自分の本分に沿って『らしく』生きて行くことこそ良いのであって、要は心の持ち方なのです。こだわりを捨て、他人のモノサシに惑わされないようにしなければなりません。自分らしく生きることが大事なのです」
2時間目は精神科医の千村晃さんの「薬に頼らないうつの治し方と人の心」。
うつ病とは何か、の説明に長々と時間を費やした結論は、奇しくも横田管長の法話とまったく同じ。
ヒンドゥー教には学生期、家住期、林住期、遊行期の四住期というのがあって、人生の勤めを果たして後半に至り、自然と向き合って自分自身の人生を静かに見つめる時期を林住期と呼ぶが、「うつ病は人生のプチ林住期」である。
奈良の薬師寺の高田好胤師「坊主は坊主らしく」、つまり、それぞれが…らしく生きること。
横田管長の「自分を抜きにして、自分を消してみる」、つまり、うつ病を治すためには「元気で真面目、完璧で律儀な良い人…」というような今までの自分を抜きにして、消してみる。
などなど12の例を挙げて「肝心なのは心の持ち方なのです」と締めくくった。
今のところ縁のない病気だし、これからもありそうもないが、覚えておいて損はなさそうである。
「心の持ち方」というのは、何も病気の治療に限ったことではあるまい。さまざまに援用出来そうなのは間違いない。
3時間目は材木座の浄土宗大本山光明寺の柴田哲彦法主の「生死一大事」。
さまざまな仏典からいろいろ引用してきて話してくれたが、悪いけれど、何も頭に残っていない。
こちらの、受け入れ能力の問題の方が大きいんだとは思うが…
二日酔いで朦朧としてもいたからね。でも、よく眠らなかったと思う。そこはわれながらエライ。
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