今朝は寝坊してしまった。
午前3時にトイレに行き、あと1時間眠れる…とそのまま寝たのだが、ハッと気づいて時計を見ると5時を回っている。
立春を過ぎたとはいえ夜明けはまだ遅い。気付きにくいのだ。
南関東は今日あたりから気温が上がるそうで、しかも明日明後日は19℃近くまで届くらしいから嬉しいことではある。
今朝もその片鱗なのか、厳冬の夜明け前の気温は随分緩んでいて、そのせいで寝坊したとすれば、ボクの身体はボク自身より先に「春眠暁を覚えず」を先取りしていることになる。
心より体の方が正直ということか…
さて、昨日の夕食は今年もう2回目になるグリンピースご飯だった。
ボクの大好物♪
グリンピースご飯と言えば子どもの頃は5月の大型連休辺りから出回る初夏のヤサイだった。
薫風の中で遊びまわってお腹を空かしたところに食べる白いご飯に混ざった薄緑色の豆の見た目の美しさと言ったらなかったし、少し塩味の効いたご飯はおかず無しで何杯も食べられた。
この嗜好はジジイになっても変らず、食膳にグリンピースご飯が出ると、とても嬉しくなる。
その初夏のヤサイは2度とも鹿児島産で、思えばずいぶん遠くから運ばれてくるものだが、聞けばスーパーで258円だったそうだから、高くはなさそうである。
今年は鹿児島でも雪が積もったらしいし、露地栽培の訳はなく、ハウス栽培か何かだろう。
こうして好物にありつけるのだから、ありがたいと言えばありがたいのだが、何か季節感が無くなってしまうなぁと、正直思う。
「旬」という言葉が、近い将来、国語辞典から古語辞典に引っ越しを余儀なくされるようなことが無いよう、切に祈りたいものだ。
グリンピースご飯のおかずのメーンはブリの切り身の照り焼きだった。
「焼いていたら随分と脂がにじみ出た」というので富山湾のブリかと一瞬思ったが、愛媛の養殖ものだという。
これにはがっかりした。
ボクの食の記憶の中で"最悪の食べ物"イコール"養殖ハマチ"であって、特に最初に出回った愛媛のハマチはその代名詞とも言えた。
その理由は、養殖魚に病気が蔓延しないように抗生物質を大量に与え、しかもエサは安価なイワシのミンチや乾燥した顆粒を与えるだけだったので、刺身などを口に入れると"イワシ臭さ"や"異臭"がしたものだった。
それはブロイラーのニワトリも同様で、同じエサ、抗生物質漬けの肉からは異臭としか言いようがない匂いが漂ったものだった。
愛媛のハマチもブロイラーのニワトリも、今は技術の進歩や飼育方法の改善によって、そうした臭みのない、天然物に近い味に変わってきているようだが、養殖物は養殖物である。
ボクなら買ってこない。
今回は仕方なく口にしたが、先入観があるせいだろう、ちっとも美味しくなかった。
大地震の被害に見舞われた能登や富山の漁師たちが獲って来る富山湾方面の脂がのって身の引き締まった天然ブリが食べたかった。
何も加えない、それもたくさん手に入る旬の食材で腹を満たしたいものだと、それが贅沢だとはわかっていても、つくづくそう思う。