日本は世界で67位 !
国際NGOの「国境なき記者団」(本部パリ)が発表した「報道の自由度ランキング」で、今年も昨年と同じ順位だった。
調査対象は180の国と地域だから、半分よりは少し上だが、そんなのは何の慰めにもならない。
第一、サッカーのFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは27位だ。
これだって威張れたものではないし、昨年末は50位だった。
畢竟、W杯で1、2勝するのがやっとの実力しかなく、少しでも実力が上のチームと対戦すれば手も足も出なくなってしまう。
67位ってのはそれよりず~っと悪いってわけだ。
何が理由なのか。
「記者団」によれば「メディアの多様性は尊重されているものの、経済的な利益が優先されて多様な報道が次第にしずらくなっている」と指摘されたほか、「沖縄の米軍基地などを取材するジャーナリストがSNSで攻撃を受けている」と指摘されている。
経済的利益の優先って、分かりやすく言えば新聞社もテレビ局も広告収入が欲しいから政府追及に熱を入れ過ぎると、政府を支持している経団連にそっぽを向かれ、加盟している大企業からの広告出稿が減るのを恐れて追及の手を緩めているってことか?
武士は食わねど高楊枝――お前らマスコミだって少しは見習ったらどうだと言いたいところだが、どうなんだ?
そもそもジャーナリストを志すような人間ってのは、経済的な豊かさを職業に求めてるんじゃなくて、社会の矛盾に光を当てて、少しでもより良い社会に変えていくためのお手伝いが出来れば――という気持ちが強いんじゃなかったっけ。
今の若い記者諸君でどれくらいの人が知っているか分からないけど、昔はそれを「社会の木鐸」って言ったんだよな。
木鐸ってのは大昔、中国で法令などを人民に触れて歩く時に鳴らした木製の大きな鈴のことで、「新聞は社会の木鐸である」というように使って「世論を導くもの」という意味で使っていた。
それが日本では消えてしまっているって「記者団」は言っているわけで、多分当たっているんだと思う。
「メディアの多様性は尊重されている」って言うのは、様々な媒体が存在し得ているってことだろうが、そんなものがいくらたくさんあったところで、肝心の「言論の独立性」とか「表現の自由」って言うのが同時に担保されていないんじゃ、何もないのと同じで何の意味もない。
世の中からどんどんどんどん自由というのが奪われて行っているって言う状況をどれだけの日本人が意識しているって言うのか。
「言論の自由」や「表現の自由」が人々の口の端にしょっちゅう上がっていたころに比べると、今は逆にアベなんちゃら一派が表現の自由を奪おう奪おうと虎視眈々狙っている。そうした事実を見逃してはいけない。
2013年にあれよあれよというまに強行採決して成立させてしまった秘密保護法なんて法律はその最たるものの一つだ。
憲法無視も甚だしいと思うのだが、その肝心の憲法すら変えて国民から自由を奪ってしまおうと血眼になっているじゃないか。
記者もだらしないぞ!
君らは「社会の木鐸」だったんじゃなかったのか?
そんなの知らないとは言わせない。知らないって開き直るんだったら、じゃ君らはいったい何なんだ。何を目指して記者をしてるんだ。
犬か。権力の番犬か。その役目を担っている組織や人は世の中にたくさん存在する。
その列の尻尾に加わろうってのか。それで甘い餌をもらおうってのか。
コツコツでいいからやったらどうだ。
幸いにしてメディアの多様性とやらは担保されているんだ。
様々なメディアで、派手でなくてもいいから、おかしなものをおかしいと指摘し続ければそれは力になるぜ。
どの媒体を手に取っても、あるいは目にしても、同じようにおかしなものをおかしいとはっきり指摘されたものを目にしていれば人は必ず目覚める。気付く。
まずはその一歩を印すのはその役目を持っているはずの記者諸君がやるしかないんだよ。
このままだと149位のロシア、177位の中国、そして最下位を脱したといっても179位の北朝鮮を笑えないぜ。
ちなみに最下位の180位はトルクメニスタンだって。
トルクメニスタンってどこよ。
コリアンダーの花が咲いた。始めて見た。花の直径は5、6mmと極小。別名パクチー
花のプランターを動かしたらヤモリくんが出てきた。ちょっとユーモラス。害虫一杯食べてください!