ブログを書こうとパソコンの前に座ったのだが、今朝も書きたいことも何も浮かんえこない。
しばらくパソコンの前から動かないでいたのだが、状況は何ら変わろこところがない。このまま座り続けていても、ただ時間が過ぎて行くだけである。
そこで一計を案じ、外の空気でも吸おうとガラス戸を全開にしたとたん、まだ夜明けの兆しの何もない闇の世界が続くその奥から、何となく甘い柑橘系と認識される匂いが漂っているのに気付いた。
キンモクセイの香りにしては季節が少し早い気がするし、わが家には鉢植えのレモンがあるにはあるが階下の玄関先に置いてある。
夏ミカンだってパソコンを置いてある部屋からは一番遠い庭の片隅に生えている。
今朝は風がそよとも吹かないから、遠くにあっても香りは拡散せずにまとまって漂ってくるのかもしれないが、そもそもそれらの花の季節はとうに過ぎている。
いずれにしたって普段は感じたことのない鼻腔体験に少し驚き、かつ少し心躍るものがあった。
意外性ってやつは意表をついてくるゆえに成り立つものだから、予定調和からはみ出るものがあるとボクは心を魅かれるのだ。
さて、話を戻すとして…
書きたいことが何もないなら書くのを止めてしまえばいいだけの話だが、とりあえず毎日続けてきたものをその日の気分次第に任せるのは、はなはだ気分が良くない。
これはひとえにボクの性格によるものだろうと思う。
継続は力なり…。
と言ってしまえばカッコ良すぎるし、いささか照れ臭くて身の置き所に困る。
まっ、続けることにしか意味を見出せないし、それでもかまわないやと言う思いもあるから、その辺りで手を打ちたい。
そういうスタンスだから、そうむやみには休めない。
だから些細なことでもいいから何か〝でっちあげ〟て足跡だけは残しておこうともがくのである。
「でっちあげて」と書いたが、大辞林によると「捏ち上げる=➀事実と違うことを、いかにも本当らしくこしらえる。捏造する②形だけととのえて、いいかげんにまとめる」という意味になり、聞き捨てならない意味が並ぶ。
で、今回ボクが使っている意味合いは➁に近い。
ナヌッ! お前のブログは〝いいかげんにまとめたもの〟なのか‼ と早トチって怒らないでほしい。
照れ隠しってのがあるけど、その辺はどうか察していただいて…
36年間にわたってナリワイとしてきた職業は「捏造」の二文字が絶対タブーの世界だった。
そこで来る日も来る日も書き続けた。
筆がスラスラ進む日もあれば、苦吟を重ねてもなお、はかどらない日もあった。
今と同じく書くべきこと、書きたいことが見つからずに焦る日々もあった。
事実のみを可能な限り客観的に伝える――というのが鉄則の世界であり、使命だったから、その圧力も知らず知らずのうちに感じていただろうし、他社との激烈な競争もあった。
今、それらのくびきからは離れて書けるようになった。
何より主観を中心とした文章で構わないのが楽しい。
好き勝手なことをほざけるのだ。
…ねっ、何となく➁が言うところの「形だけととのって」きたっしょ!
「いいかげんにまとめる」ってくだりの判断はこの際、読んでいただいた方のご判断と言うことに。
では、今朝はこの辺で。良い一日を。
江ノ島が目の前をふさぐように横たわる片瀬東浜は富士山も見えないし、海の広がりが感じられないので浜に下りることはほとんどないが、まとまりのああるこじんまりした海辺の光景としてはそれなりの役割を果たすところがある
画面左下の波打ち際に人影が…
近づいてみると乙女が2人 人影がめっきり減ってしまった浜辺で波と戯れていた
こちらは江ノ島の堤防からの景色 東浜からの展望と比べると水平線の長さが極端に違ってくる
昨日もよく晴れた 日焼け止めを塗らずに出かけたら、なぜか手の甲だけが焼けてヒリヒリした