ちょっとした用事があって江ノ島の対岸の湘南海岸まで出かけた。
ちょうど日没直前の時刻と重なったため、波打ち際に出てしばし夕日が沈んでいくところを眺めた。
相模湾から眺める夕日は水平線の彼方に沈むのではなく、丹沢山塊から富士山、箱根連山、そして伊豆の山々のいずれかに消えてゆく。
日替わりで落ちて行く場所が代われば賭け事や占いに使ったりする向きも出てくるのだろうが、日の出や日の入りは大宇宙の摂理に従っているため、場所が変わるといっても気まぐれで位置を変えるのではなく、季節季節の単位で移動していく。
とてもお行儀がよろしいのである。
ヒトもかくあらねばならない…なんちゃって。
指標となるのは常に富士山である。
昨日は富士山と箱根連山の間に沈んでいった。
正直言ってこれには「えっ もう !? 」と軽く叫びたいくらいの驚きがあった。
つい先日まで、少なくとも9月の初めころまでは富士山の右側に沈んで行っていたはずなのだ。
それがいつの間に…という思いなのだ。
秋の日は釣瓶落とし—と言うが、沈む位置が富士山の左側に来るとその左に寄る速度は増すようで、どんどんどんどん伊豆半島の山々を侵食してついにはかなり南に寄った天城連山まで達してしまうことになる。
こうなってくると、北に寄った東から登った太陽がボクたちの頭のてっぺんを通過して北に寄った西に沈むまで長い滞空時間を必要としたのに対し、南に寄った東から上がった太陽はボクたちが顔を真上に上げなくても見えてしまうくらい低い軌道を通過しながら南に寄った伊豆の山々の彼方に消えてしまうから、その滞空時間は驚くほど短い。
分かりにくいって。そりゃそうだろう。回りっくどい表現を敢えてさせてもらったからね。
早い話が秋分の日を境に日の長さが夜の長さに侵食されていっちゃいますよね、寂しいですよね、ってことを言いたかったのさ。
正確に言うと昨日24日の日の出時刻が05:30、日の入りは17:37で、昼間の時間は12時間6分だから、まだわずかに昼間の方が長かった。
これが27日には昼と夜がちょうど半分づつになり、そしてついに逆転してしまうのが28日で、昼の長さは11時間58分と夜に比べてわずか2分だが短くなってしまうという訳さ。
やっぱりね、昼間の時間が長い方が外で遊んだり活動したりできる時間も長いし、当然太陽の恩恵も長い時間受けられる。
太陽が長い時間顔を出していれば気温も上がるから着るものは薄くて身軽ですむし、万物はこういう時期にこそ輝くものなのだ。
ボクが夏を好む理由の一つはこんなところにもあるのさ。
それなのに、そういう時期はもう終わりだよと告げているのが富士山の左側に沈む太陽なのである。
そのことを嫌でも知らされたのが昨日の夕日だったってことなのさ。
それだけさ。
24日17:12~17:27までの間、片瀬西浜からiphoneで撮影