アップダウンを歩き回ったわけでもなく、打席から動かずにスイングを繰り返していただけに過ぎないが、スイングする場合にはどうしたって右足が軸足になるから、一定程度、体重がかかることになる。
おまけにバックスイングから球をとらえる瞬間を経てフォロースイングまでの間、右ひざは内側へのひねりに耐えなければならない。
おそらく、この動きが痛めている膝には良くないんだと思う。
打ちっぱなしから帰ってきた後、痛みがぶり返したのは、多分そのせいだろう。
坐禅で膝を折りたたんで坐る場合もよく観察すると、ただ単純に折りたたむだけではなく、膝に若干のひねりが加わって初めて上手に足が組めるのである。
膝の構造上、そうなっているのだろうと思うが、だから厄介なのである。
ひねって悪くした膝を、またひねりながら足を組まなければならないのだ。
騙しだまし足を組んだとしても、ひょっとした拍子にズキンと激痛が走るのである。そうなったらとても坐禅どころではない。
膝がどこまで回復しているか具合を確かめるためと、少し身体を動かしてこようと、30キロ余り自転車で走ってきたが、ペダルを漕ぐ動きにはひねりが加わらないためもあるのか、痛みはまったく感じず、何事もないんである。
しからば、と家に戻って足を組んで坐って見たが、微妙に痛みを感じる部分があるものの、痛みを感じないで足を組める位置があることも分かった。
そういう痛みを感じずに済む坐り方をすれば、なんとかなりそうである。
問題は2時間近く持つかどうかだが、後はケセラセラなのだ。
何もそこまでしなくても、完全に治してから行けばいいじゃないの、という考え方もあるだろう。
しかし、寺に出掛けて行って管長の話を聞きながら坐ってくる、というのを経験した身には、週に一度の坐禅会といえど休んでしまうのはもったいなくもあり、一週間が物足りなく感じてしまうのである。
自宅で坐るのとはやはり違った気持ちになるものなのだ。そこが大本山の大本山たるゆえんで、雰囲気というものが独特なんである。
それにしてもヒトの関節というものは実に良く出来ているもので、縦横の単純な動き限定ではなく、そこにひねりが加わっても何ら問題ない、というところがすごい。
例えば蒸気機関車。最近はあまり見かけなくなったが、あの人間臭い機械の動輪の動きや蒸気機関から発生した力を動輪に伝えるためのロッドの動きの力強さといったら他に類がないくらいだが、あの動輪やロッドにひねりを求められるか?
ひねりを取り入れながら、力をうまく伝えたり、あるいは余分な力を逃がしているのがヒトの関節なのだと思うと、すごい装置を身につけているものだと改めて感心してしまうのである。

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