平方録

南箱根の老僧

月日の移ろいは早いもので、あれから1年経ったのだ。

円覚寺の日曜説教座禅会。毎月第4日曜日には横田南嶺管長に変わって、円覚寺ゆかりの和尚が交代で説教に立つ。
あれからとは、去年聞いた南箱根の老僧がまた登場したのである。
南箱根とはその時初めて聞いたのだが、伊豆の田方郡函南町辺りのことだそうで、確かに箱根の南である。

のっけから話は飛ぶが、三浦半島にあろうことか「南湘南」を標榜するところがあって、お洒落でスマートな雰囲気にあやかろうとした下心がありありなのだが、いつの間にかこの呼称は消えてしまった。
そりゃあそうだろう。
三浦半島を湘南なんて誰も思わないし、いくら南をくっつけたとしても場違いは場違いなのである。
違和感はあるし、何もそこまで媚なくても、と大方の心ある人は思うに決まっている。

古い話だが、子どものころ墓参りに連れて行かれた際に利用した京浜急行の「京急富岡」が当時は「湘南富岡」と呼ばれていたものである。
これは京急の前身の湘南電気鉄道の駅だったことからつけられた名前のようだが、鉄道会社も利用客も、やはり湘南が有名になるにつれてあやかり商法的な名前が気になりだしたんだと思う。
こうした地名呼称は不動産の付加価値を高め、イメージアップにつなげたいという下心を持つ業者が使う常とう手段だから、違和感が付きまとうのも当たり前である。
こじつけ商法とも言いますな。買う方も分かっていて、苦笑いしながら買うんだろうけど、正直に字名でもつけておいた方がよっぽど洒落ている場合もあるのに、なかなかそれが通用しない世の中とは何なんでしょうな。

このまま果てしなく横道にそれたまま進むことも可能だが、「あれから」とわざわざ冒頭で断っておいた手前、戻したいと思う。
南箱根の老僧は丹那トンネルのある伊豆半島の付け根の町の修禅院の斎藤宗博和尚で、御年93歳だという。確か去年も93歳だと聞いたおぼろげな記憶があるから、もう歳を取らなくなってしまったのかもしれない。
草取りが大好きで、2時間でも3時間でも何も考えずに草をむしっているんだという。そういうところは実に親しみを感じるのである。

肝心の説教は次の展開を忘れてしまったのかと訝るくらい、とぎれとぎれなので、一向に要領を得ない。
おまけに、断片的に話す内容を「どうこれ、たいした話でしょう。分かる人もいるし分からない人もいるんですよ。どうせなら分かる人になりましょうね」みたいな、随分意訳したけれど、まァ、こんな感じでひとり悦に入るのである。
聞かされる方にすれば、ちゃんと分かりやすく説明しろと言いたくもなるのだが、我関せず、そのまま次の話に飛んで行くのである。
そこでもつっかえ、あるいは途切れ、どうした! と思わず声をかけたくなるのだ。

去年は生半可な知識、こだわる必要のないものにこだわることを戒めた「百丈野狐」の話で、なかなかおもしろかったのだが、今回は安藤和尚が巡り合った老師たちの言葉の紹介で、猫に小判でしたな。少なくとも私めには。
今日の話はあちこち飛んで、まとまりもつかず、つまらなかったなぁ、とぼやかれても困るのだ。
いずれにせよ、とぼけたというか、「と」を取ってしまってボケかかっているというか、それでもどことなく憎めない、味のある和尚なのである。

静岡刑務所の教誨師を20年務め、円覚寺の日曜説教には30数年も話に来ているというのだから、立派な和尚なのだ。
来年はどんな話になるのか、楽しみである。
去年も思って果たせなかったのだが、南箱根とやらを歩いて修禅院を覗いてみようか。




円覚寺山門階段下手のサクラ


佛日庵まえの斜面のモミジが芽吹きだして新緑の装いである


大きくて高い梢の先に花がたくさんつき始めているのだが、逆光のせいもあって何の花か判然としない。コブシだろうか?
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