札幌の知人から1通のハガキが届いた。
30年を超える横浜での仕事を終え、「札幌の音楽や演劇を目指す人たちの後押しをしたい」と言って還暦を期に故郷の札幌に帰り、藻岩山のふもとの緑滴る閑静な場所に高級乗用車1台分もするオーディオセットを備えた喫茶店を開いて「サロンとして使ってもらえれば本望」と言っていた。
それが、「後期高齢者の仲間入りをしたのをしおに3月で店をたたんだ」と知らせてきたのだ。
5年ほど前、北海道を旅した折に札幌に立ち寄り、その時に事前に何も連絡しないまま店を尋ねたところ、いい塩梅に1人で店番をしていて1時間ほどの短い時間だったが旧交を温めることができた。
細長い店内は濃茶色の長~いカウンターが一直線に伸び、店中もカウンターと同様の濃茶色で統一されていて、他の色彩と言えばカウンターの端っこの花瓶の花の色…に加えて客がいれば、その客が身に付けている衣服の色くらい。
なるほどと感心させられた。
カウンター越しには大きな連続窓から藻岩山麓の緑が目前に迫る素敵な立地で、客はクラシック音楽を聴きながら静かな気持ちで緑を眺めていられる。
そしてカウンターと反対側の窓のない方には間仕切りで仕切ったボックス型のテーブル席が5~6個並んでいて、仲間との会話もできるようになっていた。
知人の美意識と目的意識とを結集したような所だった。
届いたハガキには「(店を閉めたのは)後期高齢者ともなり、自他ともに見苦しく見えないギリギリの季節ではないか、そんな心境からでした。コロナの襲来、これは想定外でしたが、地球からの戒めと受忍しつつ新しい生活・終活を始めます」とあった。
負けず嫌いで、ダンディー。わが道を行くようなところがあるくせに、他人からの見え方を気にする人間でもあった。
仕事上の付き合いだったが、愛想のない分、けっして嘘をつかない男でもあった。
北海道のコロナ禍は本土よりだいぶ早く、影響もまた広く深かった。
とどめを刺された感じもあったのだろう。文面からもそう読み取れる。
そして最後に「これまで同様の(サロン提供の)お手伝いはしていきたいもの。それぐらいのカラ元気は残っていると自負しております…」と結んであったのは、負けず嫌いで、かっこよく見せようとする知人の本領が如実に表れていて微笑ましいくらいだった。
札幌を尋ねる機会はほとんどないが、気軽に寄れる止まり木のようなところが無くなってしまうのもまた寂しい限りではある。
店をたたみ、今度は市の中心部のマンションに引っ越したらしい。
次に札幌に行く機会でもあれば、ススキの辺りの案内でも乞うか。