先日、東京・蔵前から雷門に向かって江戸通りを歩いていたら駒形どぜうの2、3軒先でこんな看板が目に入った。
そのまま通り過ぎるのは何となくもったいないような気もして、受付の女性に聞いたら入場無料だというので、好奇心を満たしてきた。
そもそもこの展示は何のために存在するのかなどと言うことはほとんど興味がなく、何か目新しいものに飛び付いたり見たりする際はまずブツやソノモノに飛び込んで直接見たり触ったりして気に入れば「そもそも」にも目を向けるというのがボクのやり方で、今回も「なんじゃ ここは? 」と半信半疑の思いで中に入ってみたのだ。
名前の通り古今東西のカバンが集められて展示されている。
今こんなのあまり見かけないが…
ジャ~ン! これは展示物にあらず!
こんなトランクも!
実はこれは医者だった妻の祖父が政府から派遣されスイス・ジュネーブにあった国際連盟の世界保健機関に赴く時に使ったカバンで、今ではわが家の装飾品として床にゴロンと置かれている。
革製のカバンは中身が入っていなくても十分に重たい。
これに中身がぎっしり詰まったら…と1人で旅する場合には目の前が真っ暗になりかけるに違いないが、昔は何か月も船に乗りっ放しだし、港々や鉄道の駅ごとにポーターという職業の人たちがいたから自分で持つ必要もなかったのだ。それが旅行というものであった時代の持ち物なのである。
わが家のカバンと同じようなカバンが展示されているのを見て急に身近な気分になり、「そもそもここは何なんだ」というのを知りたくなった。思わぬところで思いもかけなかった知人とばったり会った気分でもあるのだ。
今に見ていろ僕だって 見上げるほどの大木に なって見せずにおくものか
小学校2年生の時に教科書で読んだ「椎の木と樫の実」の話がまだ幼かった少年の琴線に触れたんだという。石川県の松百町で生まれ育った少年の名前は新川柳作、エースカバンの創業者だそうである。
この「負けてたまるか! 」の精神を生涯にわたる心の支えとして日本有数のカバンメーカーに育て上げたんだそうな。
1953年に売り出された日本初のナイロン製のタウンバッグ。軽くて丈夫で綿や麻に比べて発色が良く、色落ちもしにくいナイロン素材のカバンの登場は「カバンの革命」とまで言われ、大ヒットした。
タウンバッグに続いて発売されたボストンバッグも大ヒット商品になったそうである。
新婚旅行に出かけるカップルが判で押したようにこういうスーツケースを携えていたのを子供心に覚えている。
展示の説明によれば、紀元前3300年ごろと推測される氷河の中から見つかったアイスマンのミイラは樹皮を編んだポシェットと山羊皮製のリュックサック、子牛皮の袋を持っていたんだそうである。
で、ここは功成り名を遂げた人の記念碑的施設でありました。
*昨日は雨で家から出ないで閉じこもっていたのでブログもネタ枯れ。で、冷凍食品を解凍してチンしたってわけです。
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heihoroku
高麗の犬
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