残念ながら口にしたことはないが、いずれも刺身にして食べると美味しいらしい。
小田原まで出かけて行って漁港近くの魚屋をのぞいて歩けばどこかで手に入るかもしれない。
そういう思いに駆られる風の便りではある。
日本全国にこうした旬になるととても美味しくなるが如何せん収穫量が少なくて広く流通網に乗らないという魚介やら農産物が目白押しに存在するはずである。
そうしたものに触れるチャンスというのは地元で暮らす人を除けば、旅行者がふらりと立ち寄った居酒屋辺りで何気なく出されたつきだしとか、メニュー表ではなく壁に真新しい字で書かれた遠慮がちな短冊辺りに書き止められていたりするのを目ざとく見つけて「あれは何? 」と聞いて初めてその正体が浮かび上がってくるものなのだ。
またそれが楽しみで、旅先ではそうしたものを供してくれそうな店を探して歩くのだ。
来し方を振り返れば、初めて高知に行って桂浜にある国民宿舎に泊まった時、朝ごはんのテーブルに小ぶりの七輪が乗っていて、これは如何にと思ったら、添えられていた小魚を炭火であぶって食べろという。
言われるままに体長6、7センチほどのまっ平な小魚を網の上にのせて焼くうちに脂がにじみ出てき、いい香りも立ってきて、それが白いご飯にとてもよく合って実においし朝ごはんになったものだった。
これが酒の友だったらと思ったのは後の祭りで、しかし、帰りの飛行場で見つけて買って帰ったが、さほどの感激がなかったのはいつものことで、土地の名産・逸品はそこの空気に浸りながら味わうのを旨とすべきなんである。
それが一番美味しいのだ。それでこそ旅の価値も上がるというものである。
小魚の名前はニロギと言っていた。オキヒイラギという魚で相模湾でも獲れているはずだが、漁獲量は少ないんだと思う。
これはニロギとは別の機会でのことだが、同じ高知県の四万十川を一人でカヌーで下った時に地元の小さなスーパーで買ったウナギを川原で白焼きにして食べたあの味は生涯忘れられないだろう。
あの時は「これ天然ですか」と店員さんに聞いて怪訝な顔をされたが、四万十で売っているウナギに養殖物が混じっているはずがないと言うことなどとんと思い浮かばなかったうかつさに呆れつつ、ただ焚火に炙って焼いたものをわさびをつけただけで口にしたのだが、これがウナギかと言うくらいに甘みを感じさせる逸品になっていて、香ばしさも加わって呆然とし、我に帰って陶然としたものだ。
岡山ではノレソレというアナゴの稚魚を初めて食べたし、記憶をたどれば日本全国どこに行っても逸品だらけなのである。
小田原には繁華街から外れた海岸べりの神社の脇に大学酒場という居酒屋があって、聞きなれないスミヤキという真っ黒な棒のような魚の塩焼きを食べたことがある。
小骨の多い少し水っぽい白身の魚だったが、これはそういうものだと納得すれば十分酒の肴になる。
この酒場では別にオシツケという刺身があって、これは昭和の頃まで海の魚には縁遠い酒匂川の上流域の山の中にまで伝わっていた、この地方では知られた存在である。
アブラボウズという深い海に生息する大きな魚で、高級魚のクエやハタなどに似ているが、こちらは高級でも何でもない。
白濁したような白身の魚で、脂が乗っているのだが刺身は意外にさっぱりしているのだ。
この厚切りの切り身を熱燗で流し込むと、あぁよその町に来ているんだなぁとしみじみ実感したものである。
今水揚げされているというアカヤガラというのは現地でも高級食材として扱われているらしい。
それくらいおいしいと言うことのようだが、そう聞かされると矢も盾もたまらなくなってくる。
同じ湾の東寄りに位置するわが街からは地元の海で揚がった魚を上手に売っていた江戸時代から続いていた魚屋が閉店して今月末で丸3年になる。
ぶらりと立ち寄って今日は何が美味しい? 何か珍しいものは? と聞く楽しみが奪われてしまったことが返す返すも残念でならない。
夕方の景色ではないけれど…… 大魚釣るさがみの海の夕なぎに乱れていづる海士小舟かも 加茂真淵
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