雨は石巻市立大川小に着く頃に止んだ。そこで目にしたものは…
国民宿舎のある気仙沼大島の浦の浜港から午前8時ちょうど発のフェリーで気仙沼港に向かう
日が暮れてから島に上陸し、雨のお腹をしょっぱつしたものだから、どんな島なのかもわからず…
25分で足らずで気仙沼港へ。三陸有数の漁港には槍ぶすまのようなサンマ船や
カツオの群れを追いかけるスマートな船体のカツオ漁船など様々な漁船が一休みしている
こちらは遠洋漁業のマグロ漁船。前日フェリーで隣り合わせになった元マグロ漁船の船長は2011年の大地震の時は
出漁中で不在だったが、「家族は無事だったが親類縁者5人が津波の犠牲になった」と言っていた
東日本大震災で多いな被害を受けた南三陸町の「南三陸さんさん商店街」へ
広場の備わったまだ真新しい商店街の駐車場には雨なのにたくさんの車が駐車していた
庇が長く突き出ているので雨でも助かる
この商店街の真裏は見渡す限りの更地が広がっていて、土地のかさ上げ工事が続いている。鉄骨の骨組みだけの建物は
旧防災対策庁舎。ここの放送室から町民に向けて津波の到来に備えて早く逃げるよう呼びかけ続けて犠牲になった若い
女性職員がいたことは震災直後から聞いていたが、防災庁舎にいるのだからと安心しきっていたのではないか…
津波は3階屋上まで12メートルある庁舎を軽々と越えて行った
この商店街は既に10メートルかさ上げ工事が済んでいるので、旧地盤を見下ろすようになっている
石巻市立大川小学校の旧校舎
校門があったと思われるところにしつらえられた祭壇には、未だに花が絶えない
児童74人と教職員10人は地震発生から51分も経ってから避難を始め、その1分後、先頭の児童が校門か
ら150メートルの地点に差し掛かったところでに津波に襲われた。助かったのは逃げ遅れた児童4人と心配
して付き添った教師1人のみ。なぜこの5人が助かったのか…
そのことを含め、この旅行中随所で見てきた震災の爪痕と復興の様子は日を改め、稿を改めて書くことにしたい
松島ぁ~! 日本三景ぃ~到着ぅ~
観光協会直営、かき小屋ぁ~~
大掛かりに蒸しております
じゃぁ~ん、焼きガキの完成ぃ~! 大川小で胸を詰まらせたのだが、そこはそれ、それはそれ…
左手に軍手、右手に殻をこじ開ける金属製のヘラを持ち、ひたすらカキ殻と格闘。味付けは海水とカキが持っている旨味のみ
スコップで新たにお代わりが大量に投入され、白ワインによく合って、もう一生分を食べた感じ
途中でカキご飯とカキの汁も到着。さすがにご飯は半分残してしまった
で、ついに完食! 相席の青森から来たという母娘とハイタッチを交わし大満足の大満腹
改めて日本三景の一つの景色を堪能する
松島やああ松島や松島や こんな句の作者にさせられて芭蕉も苦笑いしているはずだ
松島湾に突き出たところに建つ五大堂
そして瑞巌寺
瑞巌円福禅寺の額。臨済宗妙心寺派の寺で伊達政宗を始祖とする伊達家の菩提寺ゆえか、本堂内部は襖絵を始めとして
絢爛豪華なしつらえ。修行の場としての禅寺とは趣を異にしているのが印象的だった
、
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heihoroku
ひろ
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