まずは近所の三島神社。小さな社が山の中腹にポツンとあるだけのちっぽけな神社である。
もちろん地元の人しかお参りをしないところで、急な階段を上って社についたところで5、6人の家族が社を出てきたのに出会っただけである。
我らも靴を脱ぎ、社殿というにはあまりに質素な畳敷きの社に上がり、健康と今年1年の無事をお願いしてきた。
例年だと、この後鶴岡八幡宮に出向いてお参りした後、物好きにも、初もうで客で大混雑している街をぶらぶらと散策し、行列の短そうな店を探して何とか昼飯を腹に収めてくるのである。
雑踏というものが大嫌いで、普段は可能な限り近づかないことにしているが、年に1度くらいなら、ああいう華やいだ雑踏というものも悪くはないものなのだ。
しかし、今回は1歳の赤ん坊を連れている。
八幡様の境内で1時間以上待つような初詣は無理である。
でも、どこかには行きたいという姫の母親の願いを聞き入れ、坂の下海岸にほど近い長谷寺を目指すことにした。
この狙いは的中し、境内は空いていて、ストレスなく高さ9.18メートルの日本有数の堂々たる木造十一面観音菩薩像をお参りしてきた。
境内からは穏やかな鎌倉の海が展望でき、風もなく温かでポカポカした陽気の中、甘酒をすすり、みたらし団子をほおばる。
上空には数羽のトンビが旋回を繰り返しているが、テーブルの置かれた一角の上空に釣り糸のようなものが幾本か張られているので、トンビは近づけないのである。
姫はみたらし団子が大好きだといい、食べ終わった後の串を使って容器に残されたタレを丁寧に掬い取ってなめるほどの念の入れようである。
しかも「ここのお団子はおいしいね~」と団子屋のお姐さんが泣いて喜びそうなことを大きな声で言うのである。
近所の公園でサッカーボールを蹴り、バドミントンをして遊び、一緒にお風呂に入ってポンポン船を走らせ、麻雀に似たドンジャラで一番になって気持ちよく寝るはずだったのだが…
布団に入った途端、母親や妹の姿がなかったものだから、急に心細くなったのか、寂しくなってしまったのか、オイオイシクシクと泣き出してしまった。
こうなると慰めはすべて火に注ぐ油となって、泣き声は一段と高くなるものである。
予定通りに小1時間経って添い寝をバアさんに交代したら、バアさんがまた最初から慰めたと見えて、いったんは収まりかけていた泣き声が再び大きくなり、しばらくの間、隣の部屋のわがベッドまで聞こえてきていた。
これまで何度も1人で泊まっているのに、珍しいことである。
理由については心当たりがないではない。
すなわち、子供は励ますものであって、たとえ悪意はなくても、少しでも不安を感じさせるような言動は慎んだ方がいいのだ。
子どもの心は繊細で、けっして見くびってはいけないのである。
100段近い階段を上る三島神社
長谷寺の境内と境内から見える鎌倉の海と街
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