しかし、格下のUAE相手に圧倒的に攻め込んでおきながら決め切れず、ようやく同点に追いついたものの突き放せず、PK戦の末に負けてしまった。
情けない!
米沢最終日は美味しい日本蕎麦を食べるため、一気に北上して大石田へ。
「最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやわらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまようといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。このたびの風流、爰に至れり。」
「おくのほそ道」にこのように記し、船で川を下って酒田へ出る日和を待っている間に、この地の人々に請われて俳諧指導の連句一巻を残した。今回の奥州旅行での風流は、このように指導を乞われて俳諧一巻を興行するまでに立ち至った、と熱心さにほだされた様子が書かれている。そして最上川の流れの速さに驚いて『五月雨をあつめて早し最上川』と詠んだ大石田である。
12時前なのに店内は既に客が大勢いて、テーブルがわずかに二つ空いているだけだった。たいして人が住んでいるとも思えない集落のどこからこんなに人が集まってくるのか不思議でならないが、車で近隣からやってくるのだろう。
十四代で名高い酒蔵の「朝日鷹」の冷酒を飲みながらたぐった蕎麦は田舎風のもので、風味があって喉越しも良く、こんな蕎麦が食べられるのなら車を使っても食べにくるだろうなと納得する。贅沢でもあり、羨ましくもある。
われらは一気に100キロ近く走ってきたんである。
雪の中に4日間いたわけだが、行動は大いに制約される。
除雪や排雪に掛かる自治体の経済的な負担も個人の肉体的な負担も馬鹿にならない。
負担は経済的、肉体的以外にもありそうである。雪のないところに住む身には計り知れないが、不公平なことではある。かくなる上は精神世界に遊ぶよりほかに楽しみはないのではないかと、余計な心配をするばかりである。
ヨーロッパの雪に降りこめられるような地域には哲学者や詩人、思想家、音楽家、文学者…のキラ星が輝くのと無縁ではないのではないか。日本でも北の巨人をあげたらきりがない。
友人も出歩くこともせず、家にいて思索を巡らしていることが多いという。
降り注ぐ太陽の下で「寒い!」と悪たれをつきながらも、あっちにフラフラこっちにフラフラしているより、雪国の人は余程自由で贅沢な時間を過ごしているのかもしれない。
雪の壁の中を大石田へ向かう
大石田の蕎麦屋「きよ」。肝心の蕎麦の写真をとるのを忘れてしまった。
平安時代に建てられた寒河江市の古刹慈恩寺。雪国の寺は雪から堂宇を守るために幕を垂らしていて味わいが今一つである。
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