まだ5分粥しか食べられず、それも朝食はご飯茶碗に半分ほどのご飯を粥にしたものと、はんぺんの小さなかけらを3つ食べただけだった。
ホトトギスの初音を耳にし、前の日から降り続いた雨も上がって青い空が広がったこともあって、何となく心がウキウキし、久しぶりに身体を動かしに出かけた。
いつもの森を横切り、坂を上り下りして海まで歩く。
わが家から直近の七里ヶ浜までは直線距離で1.5kmほど。
むろん大した距離ではないが、粥腹でどうかと思ったが、これまで蓄えた贅肉が体のあちこちにぶら下がっているから、それを消費さえすれば‶無補給〟だって可能だろうと思われた。
案の定、昼の時刻を過ぎても腹は減らず、結局、江ノ島からはバスで帰ってきたものの、総歩数は12015歩にもなった。
ここ数日の絶食とその後の粥飯のお陰で身体が随分軽くなった。
体が軽くなった分、忘れかけていたフットワークが蘇ったような気がする。
風呂場で鏡に映った身体を見ると下腹部のたるんだ肉は姿を消し、さすがに腹回り腰回りにはさすがにまだ残っているが、それでもほっそりしてきた のは何よりである ♪
顔だって、ほっぺたの辺りを中心に‶膨らんで〟いたものが現役時代に戻ったように引き締まって見える。
体重はまだ72㎏あって、現役時代のベスト体重69~70㎏に近づけるか微妙だが、まぁイイ線を行っているのではないかと思う。
ただこれを今後維持していけるかと言うと、かなりの疑問符が付く。
でも、気持ちとしては維持したい。
どうすれば可能か。
今後の検討課題だが、この怪我の功名を利用してチャンスをものにしない手はない。
そもそも基礎代謝が落ちちゃってるんだから、この基礎代謝を上げる工夫をすべし、そう思う。
体を動かすこと以外に何がある?
今回、図らずも実現した絶食ってのもいいかもしれないし…
今回、図らずも実現した絶食ってのもいいかもしれないし…
いつもの森を歩く
森を抜け、ひと山越えると七里ヶ浜に出る
七里ヶ浜の真ん中辺りから稲村ケ崎と三浦半島方面を見る
西の方角には江ノ島
左側から海に落ち込むようになっている大小二つの山が稲村ケ崎
普段はほとんど波のない静かな海が広がるが、この日はそこそこに白波が打ち寄せていた
この日のこの時刻は引き潮で浜が広く露出していたお陰で、湿った砂が締まっていてアスファルト道路のように固く、乾いた砂の上を歩くのと違って足を取られることがなく、歩きやすかった
五月晴れを期待したのだが、高い空にベールのような薄雲が広がってちょっとがっかり
やがて小動岬(こゆるぎ岬)に突き当たると浜が消えるため、直ぐ脇を走る国道134号に上がって岬の根元を横切る
海沿いは風が強いのでバス停のポールはなるべく的を小さくしたものを使っていて、鎌高前などの停留所はコンパクトな時刻表を付けた「棒」が1本立っているだけ
小動岬の西側は腰越漁港
30代の頃、早春の早朝にこの漁港の岸壁でサビキを垂らしてアユの稚魚を釣った楽しい記憶がある
栴檀は双葉より芳し…ではないが、海中から引き揚げた魚体に朝陽が当たるとアユも稚魚の内から緑色に光るのを見て感嘆したのを覚えている
今思うと食べることより、あの緑色に輝く魚体のきらめきを見たくて通ったような気がする
片瀬東浜 西浜と並んで、かつては‶東洋のマイアミビーチ〟と呼ばれ、夏になると砂浜が見えないほどの海水浴客であふれた
むろん往時ほどではないが、今でも夏の賑わいはそれなりのものがある
江ノ島の左端に続くヨットハーバーが1964年の東京五輪で使われたヨット競技の拠点で、2回目の五輪もこのヨットハーバーが使われることになっている