聞こえた、聞こえた、聞いたよ、聞こえた 、間違いない ♪
まだ明けきらない薄明りの中、近くの森の奥から古の雅な人たちが競って歌に詠んだあの夏の到来を告げる鳥の鳴き声が響いてきた。
独特の天地を切り裂くかのようなけたたましさは影を潜め、まだ少し遠慮がちなご挨拶と言った感じで…
今朝、いつもと同じ午前4時に目覚め、ベランダに出て雨を避けるために軒下に移動させておいた空蝉とブラッシングアイスバーグの植木鉢を元の位置に戻している最中、小さな鳴き声だったがはっきりと「トォ~キョォ~トッキョキョカキョク」と何度も繰り返す鳴き声を聞いた。
もちろん最初は空耳かと思って鳴き声のする方角にわざわざ体を向け、耳をそばだてて待つと、間違いない! 2度目からははっきりとあのホトトギスの鳴き声が聞こえた。
5月14日…わが鎌倉の2021年のホトトギスの初鳴日ということになる。
ちなみに去年の初鳴日は5月18日だったから4日早い。
なにしろ日本で「初音」という単語の使用を許されているのはウグイスとこのホトトギスの2種だけなのだ。
それだけに人々がこの鳥に寄せる思いは格別で、数多の歌や句に詠まれ、文学作品の数々をも彩ってきた。
ホトトギスは漢字で書くといろいろあるが「子規」もこの鳥の漢字表記の一つ。
正岡子規が自分の名前にしたのも、喉の奥が赤く「鳴いて血を吐く」とも言われるホトトギスに自分を重ねてのこと。
ボクの場合はもう少し牧歌的で、小学唱歌の「夏は来ぬ」が何といっても印象深く、ホトトギスと言えば ♫ 卯の花の にほふ垣根に 時鳥 早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ ♫ を聞くと心が浮き浮きしてくる。
だから夏大好き人間は「立夏」の到来を喜びはするが、やっぱり心の底では「暦の上での事だろ」と冷めた反応しか湧かず、やっぱり自然界が呼応してくれなきゃな、とホトトギスの初音を心待ちにし、この声をまだかまだかと待ちわびるのである。
今朝は昨夜来のうっとおしい雨も上がって気持ちの良い五月晴れが広がりそうだ。
とても良い朝を迎えることができた ♪
最後に歌と句を幾つか。
朝霞たなびく野辺にあしひきの 山霍公鳥いつか来鳴かむ よみ人知らず
ほととぎす声待つほどは片岡の 杜のしづくに立ちや濡れまし 紫式部
浮雲の身にしありせば時鳥 しば鳴く頃はいづこに待たむ 良寛
ほととぎすそのかみ山の旅枕 ほのかたらひし空ぞわすれぬ 式子内親王
むかし思ふ草のいほりのよるの雨に 涙な添へそ山ほととぎす 藤原俊成
目には青葉山時鳥初鰹 山口素堂
谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女 (谺=こだま)
時鳥鳴くや湖水のささ濁り 内藤丈草
今朝の写真は空蝉いろいろ