「補足」だろうが「解釈の変更」だろうが、そんなことはどっちでもいい。
国会で今問題となっている放送法の政治的公平性を巡る問題のこと。
要するに政府はそれまでの政府見解を変更して、放送局全体の番組を通して判断していたものを、「たった一つの番組だけで判断できる」とした経緯を記した行政文書なるものが、役所からポロっと漏れてきて、国民の前に明らかにされたってことの意義は大きい。
簡単に言えば、当時ソーリダイジンだったアベなんちゃらがいくつかのテレビ局の番組内容が自分の考えに合わないというだけで「偏っている」との不満を持ち、部下の補佐官に命じて放送法を所管する総務省に政府批判一色にならないよう、法律を変えさせろと指示した経緯が、そこで明らかになった。
首相官邸から補佐官が押っ取り刀で総務省に乗り込んで行って圧力をかけた結果だということが生々しく綴られている。
まさに一部の権力者が、自分が「気に入らない」という理由だけで、法律の解釈を変更させてしまうという、あってはならない現実がそこに記されていたという点で、トンデモナク貴重な証拠なのである。
憲法で保障された言論・表現の自由は民主主義社会の根幹をなす重要な権利だが、悲しいかな、この行為によって極めて狭められる結果になってしまっているのは、その後の放送各局の萎縮ぶりを見れば明らかだろう。
この一件はテレビ業界に留まらず、有形無形の内に新聞を含めたマスコミ業界にも浸透していき、何となく自主規制めいた対応を取るところが増えている現実と無縁ではない。
百歩譲ってテレビ業界には放送法と言うタガがあるからある程度の決まりごとは致し方ないとして、無冠の帝王と言われ、天下御免のはずの新聞業界までもが、何となく「萎縮病」に感染してしまっているのはどう考えたって、情けないことじゃないかと思う。
特に新聞の弱腰は一体どうしたことだ。オマエら「シャカイノボクタク」って言葉を知らねぇ~のか!と歯ぎしりが出る。
だから、今回の問題の本質はそこ、つまり、一部の権力者が恣意的に自分に都合の良いように法律を捻じ曲げているという事実であって、ヒステリー女の代表みたいなトンデモ大臣が「捏造だ」「私に関する4ページは嘘っぱち」と国会でいくらわめき散らしたって、そんなことは賢明な国民ならまったくお見通しなのだ。
首を取るだの、議員辞職させろだの、そんなことは些末なことだ。
そんなことより、権力の横暴=官邸の圧力が民主主義社会を蝕んでいる現状は、既に全体国家目前だということをよもや忘れまい。
隣の大きな全体国家やロケット遊びのならず者国家同様、自由のない国になりたいっていうなら別だが、ボクはそんなの真っ平御免だ。
そういう流れを食い止める一つのきっかけに、この問題を捉えて対処しなければいけない。
どう考えたって憲法が禁止している「敵基地攻撃能力」の保有だって、原発の再稼働だって、国会の議論を経ずに閣議決定だけで決めてんだぜ。
こんな大事なことを…
どこが立憲民主主義国家ですかね。
プランターで育てていたコマツナを放っぽっておいたら、きれいな花が咲いた♪