平方録

清明な夜明けに星空を思う

今朝は久しぶりに空に雲がない。
雲がないだけでなく、もやったり霞んだりもしていないから清明そのもので、まさにクリアカットの輝きである。
実にすがすがしい朝である。忘れかけていた朝である。心が浮き立つ。

で、1日中この清明さが維持されて夜を迎えたら、さぞやきれいな星空が見えるだろうなと思う。
最近はわずかの酒で心地よくなってしまって他愛もなく眠くなる。
そうなれば決まってベッドに直行なので夜空を見上げることもなくなった。というか夜遊びもしなくなったから、夜道を歩くこともなくなってしまった。
だから、この世に星の瞬く夜空があるなどと言うことを考えたこともない。
天の川? 死語ですな、もはや。

今から48年前。1969年夏。ボクは40日余りの間、太平洋をアメリカ西海岸まで往復する船の上にいた。
大洋に乗り出す大きな船に乗れた喜びで最初の夜はなかなか寝つけず、「そうだ、星を見よう! どれだけ奇麗だろう」と思って船室を抜け出たのである。
昼過ぎに東京湾を抜け出て外洋に乗り出したわが船は夜には房総半島南端の野島崎のはるか東の海域を東に向けて航行中だった。

軍艦はいざ知らず、一般の商船は夜通しデッキの明かりをつけたまま航行する。
周囲に明かりがない中ではたとえ少量の明かりであっても、随分と周囲を照らしてしまうものなのだ。
だから光に邪魔されず星を眺めるためには船の最上部でしかも光を遮る場所が必要である。
そのデンでいけば格好な場所は操舵室の真上が一番暗いんである。辺りを暗くしておかなければ部屋の中から窓の外を注視・警戒することは不可能だから、これは当然なのだ。

そのブリッジの真上に寝転んで空を見上げて息を吞んだ。
一息ではとても呑み込めず、何度も吞んで吞んで吞み過ぎたんだと思う。息苦しいのだ。
なぜって、それまで見たこともなかったような数の星が真っ暗な空間にいるボクの頭上に存在していて、それがボクに覆いかぶさってきそうだったからである。
降るような星空などと言うシロモノではなくて、星が多すぎて息が苦しいなんて…
そんなこと想像したことなかったのだ。

あれだけの星が瞬くところで星座を見つけ出すのは案外難しいんじゃないか。
その代わり、自分で勝手に星と星を結んで新しい星座を描き出すのは自由自在である。無限の組み合わせが可能にちがいない。
あの星空をもう一度見て見たいものだ。

国際ダークスカイ協会というのがあるそうだ。
暗闇が保護されていて星空がきれいに見える場所を世界中から選んで「星空保護区」として認定するNPO機関のようである。
ニュージーランドのアオラキ・マッケンジー星空保護区、スコットランドのキャロウェイ・フォレスト・パーク、ナミビアのナミビブランド自然保護区、ハワイのマナウケア山などが選出されている。

日本にはこれらに肩を並べるような暗闇はなくて選ばれていないようだが、単なる「星空名所」は存在する。
例えば岡山県のその名も美星町、野辺山高原のある南牧村、沖縄の石垣島が日本の3名所なんだそうである。
もっと身近なところでは丹沢湖のある山北町でもきれいな星空が見えるらしい。

30年近く前に四国の四万十川を1人でカヤックで下った時も、秋だったから星が良く見えた。
でもキャンプした川原の両岸は山が迫っていて、頭上に延びる細長い空しか見えなかったのだ。星を楽しむにはやはり地平線や水平線の彼方まで広がる壮大な空間の中で味わいたいというのが本音である。
丹沢湖の空も狭そうだなぁ。

クリアカットのきれいな朝を見たら、星空を連想してしまった。
小笠原航路の船に乗るという手もありそうだなぁ。




04:43撮影(2017.08.23)。夜明けがずいぶん遅くなった


05:22撮影(2017.08.23)。空の青さが増している
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事