平方録

スポーツマンシップってなんだ?

あるターミナル駅の土曜日12:15発のバスでの話。

外出先から戻る途中JR線を降りた途端、駅の放送がこのターミナルから出ている鉄道のトラブルを伝えていて、上下線とも止まっているから注意しろと呼び掛けている。
それを聞いた途端に思ったのが、バスが混みそうだな、だった。
バス路線と並行している鉄道が止まっているとなるとバスに客が殺到するのは必定である。
幸いなことにバス停に着いたのが発車時刻の10分前だったので、まだ車内はガラガラだった。それで混雑にも煩わされないようにバスの一番後ろの一段高くなっている座席の端っこに坐ったのだ。
お陰で社内の様子がよく見渡せた。

最初に危惧した通り、普段なら昼下がりのバスの車内などというものは気の毒なくらい空いてガラガラなのだが、案の定不通になっている鉄道の利用客までがバスに振り替えられてきているので、車内はあれよあれよという間に客で膨らんでいった。
そこに野球のユニフォーム姿の中学生20人近くがバス停にやってきてバスの路線図を見ながらガヤガヤやっている。
どうやら鉄道で行くつもりがバス利用を余儀なくされたのだ。バスで試合会場に行くつもりらしい。

入り口近くに坐っていた乗客が〇〇中学校に行くんなら隣のバス会社の路線の△△行が近くで止まるぞと教えている。
それはとても良いアドバイスだったのだが、なぜか中学生の野球部員たちはアドバイスを無視して混みあう車内に乗り込んできたのだ。
バットなどの道具類に加え、水をためるタンクらしきものなど大荷物を携えている。
それが20人もどやどやと乗り込んできたのだから車内はたちまち立錐の余地もないくらいに混みあってしまった。

バスはまだエンジンを始動していなかったので冷房は止まったままである。
それでなくても蒸し暑い車内に汗臭い連中が大挙して乗り込んできたのだ。車内はもうそれだけで息苦しい蒸し風呂状態である。
それでも、ともかくバスは定刻通りに発車したんである。

野球部員の何人かは空いている席に着席している。空いているのだからそれは当然である。特段問題はない。
しかし! だ。
入り口のステップ付近には一見して老人と分かる男性が後から乗ってきて、車内の奥にも進めず手すりにつかまって立っている。
その手すりの目の前の席、すなわち入り口のすぐ脇の2人掛け席の一つに座った部員やその後ろの席の部員、果ては立っている部員たちにはその老人の姿は見えなかったらしい。

そんな状態でもバスは進む。
発車して3つ目のバス停から赤ちゃんを抱き、小さな男の子の手を引いた母親が乗車してきた。もう一方の手には畳んだベビーらしき物を持っている。
バスの運転手が奥に詰めてくれとアナウンスをしたので、何とかその母子は乗ることが出来た。

驚いたのはその後だ。
老人の姿が見えなかった野球部員たちの目は、この大荷物を抱えた母子の姿も見えなかったようである。
自分の目の前に小さな手で必死に手すりを握りしめている小さな男の子と赤ん坊を抱いたお母さんが揺れに逆らって立っているのだ。
それすら目に入らないとは!

座っている奴が気づかなかったとしても、そんなことあるわけないが、周りに立っている部員の目には見えているだろう。
なぜ仲間に向かって「おい、席を譲れよ」といえないのだろう。
それともあの野球部員たちはみんな盲人だったのか? そんな馬鹿な。

着ていたユニフォームは練習着だったんだろう、胸にもどこにも所属チームを明示するものはついていなかったから、どこの連中かは不明である。
したがって学校単位なのか地域のチームなのかも分からないが、彼らは一体、毎日何を学んでいるんだろう。
少なくともボクには理解できない。
引率の教師か地域のチームならそこの指導の大人はついていなかったんだろうか。

ボクは50年前、高校のサッカー部に所属するバリバリの運動部員だった。
練習試合や公式戦で試合会場に向かう交通機関の中では固まらないようできるだけばらけて立ち、空いていたって滅多に座らなかったものである。
とにかく、集団で行動しているのだからほかの客に迷惑が掛からないように気を配っていたものなのだ。

今、ボクはいささか悔やんでいる。
バスに乗車中も注意しようかどうしようか悩んだのだ。悩みつつ黙っていたのは、もっと近くにも大の大人は何人もいたし、一番遠く離れた席から叫ぶこともないかと思ってしまったのだ。
評論家、傍観者になっちまったのだ。

昔、何かにつけてがみがみ小言を言うジジイが世の中にはいたものである。
うるせぇジジイだ! などと陰にまわって悪たれをついたような気もするが、気が付かないなら教えてあげるのは社会の責任なのだ。
あの中学生たちが次の世を背負っていくんである。
奴らが立派に乗り切っていけるように回りも気を付けてあげたほうがいいに決まっている。あのまま大人にするわけにはいかないだろう。
クソジジイと呼ばれようと、それを本望と思わなければならない立場、年頃になったと知るべきなのである。

多くの人がそう思うようになれば近くの人が静かに注意を促せば済むことで、何も遠くから大声を張り上げる必要もなくなるが…
でも、その前にまずは隗より始めよ、なのだろう。
うるせぇクソジジイが増殖してくれることを期待しつつ、自分自身を奮い立たせなくてはいけないようである。




散歩道で見つけたツルボ。群落になるときれいである






昨日のおんめ様境内で見かけたイワフジ。ちゃんと? 岩のそばに咲いていた。ハギに間違えそうな花である


ザクロはまだ割れていなかった
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