朝から小気味いい音を立てて雨が降った。
雨音がするくらいだから‶申し訳程度のお湿り〟と違って地面はしっかりと水分補給が出来たと思う。
お陰で霜柱も立てられないようなカラッカラな地面が黒々と息を吹き返したように変身し、夏の暑さにすっかりやられてしまって秋の花盛りに咲くことが出来ず、今頃になって次から次に咲いているバラたちにも精気が戻った。
色づき始めている夏ミカンだってレモンだって、これで実の水分を補充できるってものだろう。
このままじゃ乾燥夏ミカン、乾燥レモンになりかねなかったから、何よりである。
冬の雨には似つかわしくなく、南寄りの風が吹いていたので気温も比較的高めで、春先の雨を感じさせもした。
昼過ぎには雨が上がる予報が出ていたので、雨上がりの散歩を楽しむには絶好だなと思っているとその通りになった。
気になっていたマイカーの半年ぶりくらいの洗車を済ませ、こういう思いがけない暖かい冬の日の、それも雨上がりの森の空気はさぞやおいしいだろうと、直ぐ近くの池のある公園に散歩に出たのだ。
なんてこった!
わが町の怠慢行政のことをすっかり失念してしまっていた。
森と池の公園に着いてみると門扉は固く閉ざされてしまっている。
29日から来月3日までは「休園日」なんだと。
この人を馬鹿にした看板の上に常時掲げられている緑色の板の表示にもかねて腹が立っていた。
だってそうでしょ。そもそも日の短い冬場はいざ知らず、それ以外の季節の午前8時半って、森はもう十分に活発に活動が始まっている時間だよ。
そのさまざまな鼓動に触れることができないなんて、何のための自然公園なのさ。
夕方は5時15分には出てくれって、どういうことなんだよ。
この時間、夏だったらまだヒグラシがあの涼やかな鳴き声を響かせている時間だぜ。
暑い昼間はジッと葉陰などに身を隠していた昆虫たちがそろそろ活動し始める時間でもあるんだよ。
日没まで2時間近くもあるっていうのに、なんで締め出されなくちゃいけないんだ。
納税証明書ならいつだって見せるぜ。
でも問題はそんなことじゃないはずだ。要するに、鎌倉市という行政組織は何のために自然豊かな緑地を公園として保全しているのかっていう、そもそもの趣旨が分かっちゃいない。
そして行政が市民のためのものであって、間違っても行政自身のためのものであってはならないという根本的な原理原則を持ち合わせていない。
このご時勢、特に年末年始は「外出を控えて家でじっとしていてくださいな」と声高に言っているのはどこの誰なんだ?
行政がそういうお願いをしているんだろ。
言われなくたってそうするさ。でも、雑煮を食べた後の腹ごなしの近所の散歩ぐらいさせてくれよ。
そもそも何で公園に門扉を設けるんだってことは、この際、脇に置くとしたって、このご時世だ、臨機応変にせめて年末年始の間くらい開けておいたってバチは当たるまい。
大晦日の愚痴り納めになってしまった。
それにしても、もう1年が経つのかという思いである。
去年の大みそかは姫の一家が四国からやって来て正月を過ごしていった。
若も来てにぎやかだった。
今年は誰も来ない…
どこにも行けない…
やれやれ…