そう、怒りとはふつふつ煮えたぎる地獄の釜の湯のような、今にも釜から飛び出しそうな勢いで沸騰し、煮えくりかえった状態でぶっつけるのが本来の在り方である。
それが怒りというものだ。これは断言できる。
しかし、本来なら怒り心頭に発するようなことが目白押しで起きているというのに、そうした怒りがふつふつとたぎってくるどころか、何か怒ること自体が馬鹿らしくて、しかもエネルギーそのものの無駄遣いのような気さえしているありさまなのだ。
ジジイになってきて、枯れてきちゃったんだろうかとわが腹回りの弛みや、いささか筋肉が細ってしまったのかとわが手足を眺めてはみるものの、歯だって若いころにした差し歯以外は全部自前だし、そこまでは老いぼれちゃいないから、原因は別なところにあるのだ。
こういうことを大真面目で書くこと自体が、どうしようもない当事者たちのためにわが貴重なエネルギーを費やすアホらしさが募るばかりで、この段階で力が抜けかかってしまうのだが、とにかく続けてみよう。
まぁ、最大の怒りは「あの」アベなんちゃら政権が総選挙後も生き延びたことだ。
その最大の原因はわが同胞たちの無責任さ、節穴のマナコの持ち主たちに向けられるべきなのだが、百歩譲ったって負託を受けた側までが無責任で物事の真贋を見分けられないような節穴のマナコを両眼にはめることもあるまい、と思うのだ。
マナコが節穴だから、権力の何たるかをきちんと理解しないままそれを握ってしまってしまっているから、やることなすことに法も秩序も蹴散らして、それでいて何を指弾されようがカエルの面にションベン状態でへらへらやり過ごしている。
それが今のアベなんちゃら政権の実相なんである。
見て見ろ! なんだあの国会の委員会に於ける時間配分問題の藪から棒さ、恥も外聞も誇りのかけらさえ持ち合わせない精神、野党から追及されたくないという哀れと言ってもよいくらいの軟弱さ、その一方での傲岸不遜さ…
どんな形容詞を使ったって形容しきれないほどの無責任さ、空しさ。
会計検査院が森友学園問題に関して行った国有地払い下げをめぐる調査結果に対する、カエルの面にションベン状態の態度。
「責任」という概念がアベなんちゃら一味には皆無だから、そうなることは必然なのだが、ならば何のための検査院の調査だったのかと言うことだが、世間はそれにもまた〝寛容〟という本来の意味合いとは違った単語を持って接するのである。
これをアホらしいと言わずして、何をアホらしいというのか。
生真面目にいちいち怒ってなんぞいられるか。アホには付き合いきれねぇ。
「保育園落ちた。日本死ね」
同感である。ボクも同じように叫びたい。
「これが美しい国かい。日本死ね」
昨日の相模湾は波高し。右奥に富士山の稜線が
沖合の陸地は伊豆半島。一段高く見えるのは天城の山々
15:58は既に堂々たる暮色
風は強かったが日中は南寄りの風だったので海沿いでは気温が16、7度まで上がった
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事