昨日のブログで仏教詩人の坂村真民の「光を吸へ」という短い詩を掲げたら、コメントを寄せてくださった方が「偶然?」と言いつつ「桃咲く」という詩を目にしたことを知らせてくれた。
病が
また一つの世界を
ひらいてくれた
桃
咲く
という短い詩。
坂村真民の詩は身近なところから題材を得ているが、花の詩も少なくない。
そもそも詩集の名前にも登場するのだから…
手元の「坂村真民詩集百選 はなをさかせよ よいみをむすべ」(致知出版社)を手繰っていたら、これも何かの縁だからと、いくつかを並べてみようという気になった。
詩集は臨済宗円覚寺派の横田南嶺管長が編集したもので、花の詩を集めた章では「真民さんは、野に咲く花をこよなく愛されました。なかでもタンポポを最も大切にされました。自らの住まいをタンポポ堂と名づけられたほどです。人間としていかに生きるべきかについて、真民さんは一輪の花から、実に多くの教えを学ばれたのです」と綴っている。
まず、タンポポから。
「タンポポ魂」
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
「本当の愛」
本当の愛は
タンポポの根のように強く
タンポポの花のように美しい
そして
タンポポの種のように四方に
幸せの輪を広げてゆく
「野の花」
わたしが愛するのは
野の花
黙って咲き
黙って散ってゆく
野の花
「花は嘆かず」
わたしは
今に生きる姿を
花に見る
花の命は短くて
など歎(なげ)かず
今に生きる
花の姿を
賛美する
ああ
咲くもよし
散るもよし
花は歎かず
今に生きる
「花」
何が
一番いいか
花が一番いい
花の
どこがいいか
信じて咲くのがいい
「あじさいの花」
まるくまるく
形のよいものに
なろうとする
やさしい心の
あじさいの花
きのうよりも
きょうと
新しい色に
なろうとする
雨の日の
あじさいの花
「バスのなかで」
この地球は
一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない
そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分よりも大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
その時
わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を
失わずにゆこうと
涙ぐましいまで
清められるものを感じた
いい匂いを放つ
まっ白い花であった
歯医者への道すがら、山の斜面に今年もヤマユリが咲いているのを見つけた♪
人の背丈よりもだいぶ高い所に咲いているためか、ヤマユリ特有の何とも言えない芳香は伝わってこなかったのがちょっぴり残念
笹に囲まれていても目立つその姿は野の花の王者の風格を感じさせる
あんな高い所にも咲いている
人を近づけない気高さ
今年は株の数が増えたようでうれしい♪
ヤマユリが咲いていると周囲が明るく輝く
まっだつぼみもある♪
もう一度目に焼き付ける 今日もこの道をたどりたいと思う♪