4時5分過ぎに起き出して、東側の部屋のシャッターを上げると東の空が透き通っている。
雲がないから朝焼けというものがない。
遠くの低い山裾が黒く見えていて、空との境をかすかにオレンジ色に染めているだけである。
快晴ってことじゃないの♪
何日ぶりだろう。
仏教詩人として名高い坂村真民に「光を吸へ」という詩がある。
朝は
太陽に向かって
その清らかな
光りを浴び
夕は月に向かって
その静かな
光りを吸え
坂村は毎朝、暁天祈願というものを続けていたそうだ。
随筆集「めぐりあいのふしぎ」(サンマーク出版)の中でこの暁天祈願に触れてこう書いている。
「わたしの暁天祈願の時刻は、午前三時三十六分である。この時刻にきめたのは、この時刻が野鳥の目覚める平均時刻だからである。酉年うまれのわたしだから、鳥の目覚める時刻に合わせたのである。むろんわたしはもっと早く起きているのであるが、二時から四時までの時間を、わたしは純粋時間と言っている。宇宙の霊気が一番生き生きしている時間だからである」
そして、やがて上ってくる太陽の光をたっぷりと浴び、清明な空気を胸いっぱいに吸い込むのだそうな。
祈りはまず「三祈願」と呼んでいる三つの事から始めるという。
(一つ)宇宙の運命を変えるような核戦争が起きませぬように
(二つ)世界人類の一致(ユニテ)が実現しますように
(三つ)生きとし生けるものが平和でありますように
これに、その時々の思いも加えて祈っていくらしい。
坂村真民の足元にも及ばないが、登って来る太陽に接すると、何となく居住まいを正し、目を閉じながら何事か祈りたくなる気持ちはよくわかる。
ボクの場合など、自己中心の勝手な願いばかりで恥ずかしい限りだが、懲りずに繰り返しているのは何だか偉大で圧倒的な力を感じるからでもある。
今朝の太陽は1年の内でも元も早い時間に上ってくる太陽なだけに、そう思う気持ちもひとしおである。
中身は相変わらずだけど…
2階のベランダで育てているミニトマトに「珍」発見があった♪
脇芽はすべ芽をかいているはずなのに、足元から1本伸びてきていて花まで咲いている?!
これは如何…、見逃してしまったかと思いきや、脇芽ではなく、実の房の先っぽから伸びている!
左手の実がたくさん並んでいる房の先からグイと枝先の延ばすなんて…
まぁ、一種のフェイントですかな 脇から芽をのぞかせればかかれてしまうので、「房の先からなら気が付くまい」と思ったか
奇策というか珍策というか…何はともあれ、忍者のような変幻自在振りに免じて今回は房の先にも実らせてあげようと思う♪
もちろん味見もするつもり。その報告は後日。乞うご期待。
4;36の東の空 夏至直前の東京の日の出時刻は4:26 間もなく陽が上る
4:42 ビルの左手にある低い木の真ん中に穴が開いたように見えてきた
4:42 ズームしてみると、何やらひときわ明るい光がk木を透かして見え始めた
4:43 低い木のお腹の辺りが光を増している
4:43 真ん丸のひかりの球の存在が際立ってきた
4:45 ぽっかり…でも少し遠慮気味に太陽が現れた♪
4:45 そうか、この辺りが1年の内で最も北に寄った上り口なのだな♪
スマホのコンパスで測ると、この位置は真北から63度の位置 概念的には春分の日と秋分の日が90度の位置から登って来るとすると、それより27度も北に寄っていることになる
同じように沈む位置も北に寄るだろうから一日の中で昼間の時間が最も長くなる理由の証拠写真という訳である