3世紀から6世紀にかけて登場した古墳時代。
絶大な権力を持った「王」の登場とともに、その墳墓である古墳には数多くの副葬品が収められた。
そうした副葬品の中に世界的にも珍しい造形とされる「埴輪」が含まれていた。
一昨日のブログでは埴輪になった人物を並べたが、2回目の最後は主に動物を中心とした副葬品を見てみる。
埴輪の特徴の一つである「省略」を通じて実際に形づくられた動物の姿は、これらを制作した人々の動物に寄せる優しく愛おしさを含んだまなざしが痛いほど伝わってきて感動的ですらあった。
古墳時代の人々は、そもそも戦など苦手な平和を好む人々だったのではないか。
古墳には様々な生き物が一緒に埋葬されている
四つ足の動物から水鳥などの鳥類の大行進♪
先頭を歩くのはブタ?
魚も泳いでいる!
その魚を捕まえた水鳥
魚の頭が欠けてしまっているのは惜しいが、何というリアルさ
この動物が首だけをひねって気になる方へ視線を向けているというところに、この動物と人間との関係性の深さが現れていると思う
互いに警戒し合う関係なら、「ん…なあに?」と言って振り向くような恰好は絶対しないだろうから
馬は古墳時代に朝鮮半島から渡来して急速に普及し、農耕や軍事、儀式などに使われるようになる
馬型埴輪の大半は数多くの馬具を身につけた「飾り馬」で、この埴輪も飾り馬を忠実にもしているが、頭部の表現がタテガミを垂らした状態を表すなど、全国的に見ても珍しいそうだ(三重県鈴鹿市石薬師東古墳出土)
高い側板と波切り板で船底を深くし、外洋が航行できる「準構造船」埴輪
オール受けや隔壁の表現は繊細で、船内に立てられた太刀や蓋などが華々しく船を飾っている
死者を乗せて異界へ渡る船では…と言う説も
船底は丸木舟を土台としていて、船べりに櫂を支える軸受けが並び、当時の舟の構造がよくわかる
これらの船が外洋を航海するものか、死出の旅の乗り物かは定かでないそうだ
内部に寝台をしつらえ、外壁に盾が線刻された2階建ての家型埴輪は、王が霊と力を継承する大嘗祭のような儀礼をおこなった建物としての機能を持っていたと考えられている
従って家の単なるミニチュアとは違うのだ
こちらの家型埴輪は王が普段暮らした宮殿のような建物を模したものか
ひれ付き円筒埴輪 胴体には船を描いた線刻が刻まれている
岡山県新見市の西江遺跡出土の特殊器台と特殊壺
吉備地域で祭器として用いられたもので、ヤマト王権は自らの墓を荘厳に取り囲むために採用したとされる
いわば埴輪の起源としての位置づけらしい
奈良県桜井市のメスリ山古墳から出土した日本最大の埴輪
竪穴式石室を取り囲むように多数の巨大な円筒埴輪が建てられていたそうで、この円筒埴輪の高さは2mを超すそうだ
しかし、胴体の厚さは2㎝しかない薄さだそうで、その技術力の高さは注目に値する
埴輪の一種の"ゆるさ"に目が慣れていると、現実のヨロイの血生臭がひときわ際立つ
画文帯同向式神獣鏡(熊本県和泉町江田船山古墳)
再び動物埴輪 これはカモ?それともアヒル?
微妙に頭をかしげている
やあ♪ それにしてもよく観察していて、表情が手に取るようにわかる
カモをモデルにしたようだが、カモには子ガモを乗せる習慣は知られていないので、この習性をもつカイツブリと混同したのでは…と解説されていた
古墳時代の人も思い込むというか、間違えることもあるようで、ほほえましいことではある