尾根歩きの目的は花をめでることだから崖下に降りることなんて考えもしなかったのだが、好奇心も手伝ってちょっと坂の奥をのぞくそぶりをした途端、バランスを崩してしまったらしい。
アッ! と言う間もあらばこそ、気が付いたら深い森の中に続く急な坂を転げ落ちて行き、ドスンという音と共に我に返ってみると幸いなことにどこにも怪我も無く、痛むところも無い……
ぐるぐる回っていた目に焦点が戻ってくるとボクは萌え出たばかりの瑞々しい草むらの上にいて、辺り一面には黄色の花が咲いている。
辺りはシーンと静まり返っていて、人の気配もない。
そして、草むらの奥には岩の壁を人工的にくりぬいたような四角い穴が3つ4つ開いていて、何かの廃墟のような光景である。
急坂を転げ落ちたってのはウッソピョ~ン‼ だけど、ほんとに急な下り坂で、しかも深い木立に囲まれているので周囲が見通せない。
自分の位置が分からないというのは不安なもので、たまに車のエンジン音がかすかに聞こえてくるから、それほどの山奥でないことがわかるが、それでも目に入るのは獣道のように細い道と重なり合う木々ばかり。
そうしてようやくたどり着いたところが、萌え出たばかりの若草の間に黄色のタンポポが咲き誇る草むらと、その奥の岩壁をくりぬいた四角い窓のような穴が並ぶ光景だった。
どうやらボクは「タチンダイ」という奇妙奇天烈な名前が付けられた800年前の遺跡に出たらしい。
タチンダイという名は2、3年前に尾根道をたどっている時に、立ち木に手書きされた案内表示板に書かれているのを見て記憶に刻んだのが最初だが、それまでは見たことも聞いたことも無かった。
というのも、この名前は歴史の教科書には出てこないし、観光協会の案内パンフレットの類などにも出てこない。
17万人余りの鎌倉市民のうちどれくらいの人が知っているだろうか…というくらいの存在なのだ。
鎌倉駅の西口から市役所の前を通ってまっすぐ西に延びる道路があり、トンネルを3つ抜けた先の右側に「北条常盤亭跡」という国指定の史跡になっている場所があり、山に囲まれたこの史跡の奥にタチンダイはひっそりと身を隠している。
平らな草むらの右端の山すそに細い道があり、これをたどってずんずん進んでいくと、このタチンダイに出る。
ここは大仏切通しの北側に当たる要衝で、鎌倉幕府第7代執権・北条政村ら北条一族の有力者が別邸を構えていたとされる場所である。
タチンダイとは「館」の「台」のことで、館を建てるために平らにした土地を指すらしい。
「タテノダイ」がなまって「タチンダイ」になったのではないかという推測があるらしいが、本当のところどうなんだろう。
それにしてもカタカナ書きといい、言葉の響きといい、謎めいた雰囲気が伝わって来る。
政村の次の8代執権があの元寇に立ち向かった時宗であり、わずか14歳で執権を補佐する連署を務めていたから、このタチンダイを訪れたことがあるかもしれない。
800年という歳月は確かに遠いが、人の気配がなく、シ~ンと静まり返ったあの瑞々しい草むらに立って周囲の山懐に咲いているヤマザクラの花を見ていると、案外、つい最近の出来事だったのではないかという錯覚にもとらわれる。
本当に坂道で足を滑らせていたら、政村と時宗が談笑している部屋の前の庭にドスンと落ちていたかもしれない ♪
尾根道に掲げられた手書きの案内表示に「タチンダイ」の文字が
うっそうとした木々に囲まれた細道を降りていく…
ようやく平らなところに出ると、こんな表示が
半信半疑で細い道を進んだ先に思いがけない広がりが…
若草が萌え、タンポポの花がたくさん咲いている。奥には人のガイコツ?
近寄って見ると垂直の崖に人の手で掘られた跡がいくつも
鎌倉時代の墓の後で「やぐら」と呼ばれている
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heihoroku
ひろ
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