日曜日になると総門前の階段に行列ができるのは開門と同時に始まる日曜坐禅会に参加する人たちの列である。
ボクの場合は家から車で15分もあればたどり着くので苦労はないが、電車に乗ってやってくるような人たちは相当な早起きをしているのだろうと思う。
ゆっくり寝ていたい日曜日に、それも早朝に起きてやって来るのだから、その一事だけでも大したものだ。
開門をじっと待っていると、真冬の、特にみぞれなどが落ちてくるような時には例え5分であっても手足の感覚がマヒしてしまうほどで、自分でも「こんな目に遭いながら何で…」と、その酔狂さにあきれるくらいだ。
それがサクラが咲く今の季節になると、今までがウソのように体も心も伸び伸びとして、しかも気持ちそのものが浮きたつようでもある。
会場の大方丈の、これまでは締めきっていた扉がまだ一部ではあっても開かれ、外の空気が入ってくると「あぁ、いい季節になりつつあるんだなぁ」と嬉しくなる。
冬の間中、寒さとも戦わなければいけなかったものが、そういう心配がなくなっただけで、自然と集中力が増すのが分かる。
本来なら、雪が降ろうが槍が降ろうが、そんなこととは無関係に心を集中させて坐り続けなければいけないのだが、凡人というのはいちいち気になるものなのだ。
寒暖とか雨や風の音まで含めて、自分を取り巻く様々な事象を心にとどめず、ひたすら坐ることだけに集中できる日が来るのだろうかと夢想することがあるが、想像することすら難しい。
坊さんのように、人を導くために修行を続けているような立場ではないから、それはそれでいいのだが、それにしたって「おやっ、斜め前で坐禅している子はチャーミングだなぁ」などと思ってしまうのも論外な気がする。
これから季節がさらに良くなっていくと、ショートパンツ姿でむき出しの真っ白な太ももをさらして座る女性も出てくるのだ。
一生治んないんだろうな。やれやれ…
サクラの写真はもう最後にしたいなぁ。茅葺屋根は選佛場=円覚寺境内
山門とサクラ
黄梅院門前の横田南嶺老師揮毫による坂村真民の詩
近所の公園で毎年一番最後に、池の水面すれすれまで延びた枝に花を咲かせるヤマザクラがようやく満開になった
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