当時、組織の中で重責も担わされるようになっていて、意識して仕事場から離れてやろう、1人ぼっちになってやろうと思う瞬間があって、当時のめり込んでいたシーカヤックの拠点にしていた葉山の玄関口にあたる逗子の駅前でその店を見つけたのだ。
駅前にあったその店の形態はパブ兼レストランのような店で、半地下で広々としていて長いカウンターがあるところが落ちつけて気に入っていた。
何より良かったのは、その店を切り盛りしているボクと同世代の夫婦の存在で、不良っぽいのだけれど家庭的という、なかなか出せない味を醸し出していた。
そんな店だから、ボクらのような不良中年はもとより、しゃれたお母さんと娘のカップルがふらりと入ってきてアンチョビやらオリーブの実やらブルーチーズやらにフランスパンを組み合わせたようなつまみを注文して、当時はハイボールなんて廃れていたからワインとか甘めのカクテルなどの飲みやすいアルコールを注文して楽しそうに話をする姿は日常のものだった。
極たまに酔いが回り過ぎているような客が店に入ろうとすると、その亭主が出て行って追い返しもしたし、店内で声高に話すような客がいればさりげなく注意をし、度が過ぎればもちろんつまみ出してしまう。
つまり母娘や女性たちだけでやって来ても安心して飲んで食べられる店だったわけである。
シーカヤックでは元旦の日の出前に極寒の海(相模湾だからたかが知れているが…)に漕ぎだして初日の出を拝むというような酔狂を友人と2人でやっていたのだが、そんな話をカウンター越しに亭主にすると「じゃ来年の元旦は鍋を作ってあげるよ、浜辺で宴会しようよ」ということになり、それ以来毎年元旦の早朝には葉山の海岸で焚火を焚いて鍋をつつきながら友人を誘いワイワイやったものである。
思えばあの場には仕事仲間は誰一人いず、まったく違う仲間たちと一緒に騒いで実に楽しかった。
店の亭主の奥さんがまた明るい人で、きれいな人だったのもボクをして足を運ばせた理由の数%はあったかもしれない。
若いころはアパレル企業のレナウンのCMに出ていたというレナウン娘である。それも第1期生だったそうだ。
♪ ドライブウエーに春が来りゃ イエーイエーイ イエイエーイ
♪ オシャレでシックなレナウン娘がワンサカワンサカ ワンサカワンサカ イエーイエーイ イエイエーイ
という歌詞の明るくてやけに調子の良い曲が今でも耳の底にこびりついている。
小林亞聖が作曲してシルヴィ・バルタンや弘田三枝子が歌っていた。
そのキャンペーンガールだったから健康的できれいなわけである。
因みに亭主は当時カメラマンでレナウン娘たちを撮影する仕事をしていて、ファインダー越しに品定めしていたらしい。そしてついにはその中から1人を拉致してしまった。抜け目ないのだ。
ボクらの楽しい元旦が数年で終わってしまったのはレナウン娘を連れてハワイ島に移住してしまったからである。
開いたレストランは繁盛しているそうだが、亭主の方が体調を崩してしまって定期的に東京の病院に通ってきているので、戻ってくる意思があるらしい。
もう元旦の浜辺の鍋は無理だろうが、また新しい何かが始まると嬉しい。なにせワンサカ娘のイェイェイガールとその亭主なのだから。
おまけにその身にまとったハワイの空気とともに新しい化学反応を期待したいね。
ひょんなことから ♪ イエーイ イエーイ… というフレーズが蘇って耳にこびりついてしまい、昔話になってしまった。
塩害にやられてすっかり葉がダメになってしまったわが家のバラの内、蕾だけ残ったものが最後の力を振り絞るように
開いた。とはいえ、通常は初夏のバラよりも大きく咲き、香りもより強く立つのが特徴の秋バラにしては、哀れなほど
花径は小さく、香りも弱い。でもその痛々しいほどの健気さをここに記録しておきたい
上から「バーガンディー・アイスバーグ」「ブラッシング・アイスバーグ」「ノリコ」
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heihoroku
ひろ
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