そもそも丹阿弥何某という画家を初めて知ったし、銅板画のメゾチントという技法も初めて知った。
茅ヶ崎に市立美術館があることも初めて知った。
初めて尽くしである。
ついでに言えば、美術館が建っているところは、あのオッぺケペー節で知られる新派俳優の川上音二郎の別荘があったところだということも。
かつては松林が広がる砂地だったことを彷彿させるように、一角は今も松林が残っていて、音二郎が暮らした館が取り壊された跡地には数寄屋造りの和風建築が建てられ、「松籟庵」という工夫の感じられない名前が付けられていた。
公が手掛けると、こういう芸のないことになるのは茅ヶ崎に限ったことではない。
駅を海側に降りて美術館に向けて数分歩く細い道の両側には飲み屋がずらりと並んでいて、どれもがけばけばしくしないで、おとなしく夕暮れ時を待っているような佇まいがなかなかヨロシイ。
庶民のほうがよっぽどセンスが良い。
湘南の小さな街らしい慎みが感じられて好感が持てる。
一緒に出掛けた妻も同じように感じたらしく、「一度飲みに来てもいいわよ」とのたまう。
そう感じさせる、ちょっと入ってみてもよさそうな店が何軒かあったのだ。
茅ヶ崎といえば映画監督の小津安二郎が仕事場として使った旅館・茅ヶ崎館のあるところ。今も営業しているはずである。
小津ファンにとっては聖地のひとつだろうが、小津映画は好きだが聖地を訪ね歩くほどではない。
文学好きには開高健が暮らした邸が記念館として残されているし、高橋治や城山三郎もここで作品を残している。
加山雄三や桑田圭祐も茅ヶ崎生まれだ。
気候も温暖で、海風が吹き抜ける街は騒がしいところもガサツな所もなく、地味だが静かに暮らすにはもってこいの土地なのだろう。
海際にある9ホールしかないゴルフ場に時々出掛けた。近いのが何よりなのだ。
入れてしまったら最後、脱出の難しいバンカーをいつの間にか埋めてしまったりしたが、なかなか一筋縄ではいかないコースだった。
19番ホールに駅前の国籍不明の店で飲んで帰るのが定番であり、そっちの方が楽しみでもあった。メイヤーさんを呼びつけたこともある。
丹阿弥丹波子さんのお姉さんはかつて女優をしていた丹阿弥谷津子だそうで、確かに顔が似ている。
作品は植物ばかり。それも花瓶やコップに入れられた花など。
それが白黒で表現されているのだが、不思議なことにかえって豊富な色彩が浮かび上がってくるところが面白い。
植物という「静」の世界を描くにはもってこいの技法なのかもしれない。

