平方録

神田まで出かけて行って映画を見てきた

神田の岩波ホールに映画を見に行った。

19世紀のアメリカの女流詩人の生涯を描いた「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」である。
ボクは別にディキンスンのファンでも何でもない。どんな詩を書くのかも知らない。ただ、詩人の名前だけは50年前の大学生時代から知っていた。
付き合っていた彼女がゼミでこの詩人について勉強していたからで、その彼女は妻になっている。
詩人の伝記映画などという退屈そうな映画を見る気になったのは、その妻に誘われたことと上映場所が神田の古本屋街の一角だったからである。

古本の匂いや古本屋街一帯の雰囲気が好きで学生時代はもちろん、社会に出てからも機会があればよく足を踏み入れていたところである。
それがここ十数年というものは古本の圧倒的な山脈を見るたびに登り口さえ見いだせないくらいなっていて、途方に暮れるだけだから近づかなかった、いや近づけなかったと言ったほうがいいかもしれない。
その状態は今でも変わらないのだが、せめて本の匂いや雰囲気でも味わえればいいや、という気持ちで行ってみる気になったのである。

岩波ホールにも時々足を運んで街の映画館ではやらない映画を随分見た。
高校生の頃にはドイツのゲバントハウス四重奏団というのがやってきて演奏会を開いた時、持っていたレコードの演奏者そのものだったので、矢も楯もたまらず聴きに行ったこともある。
思えばあれこそボクがお金を払って聞いた演奏会の嚆矢なのである。
思い出深いホールなのだ。

退屈そうだなと思っていた映画はそれほどではなく、ディキンスンの生い立ちやら暮らしぶりを通して性格やら考え方なりを知るよすがにはなったから、眠りに陥ることもなく見ていたことは間違いない。
19世紀のアメリカ東部の上流階級の家に生まれたので、自然の中の広く大きな屋敷に家族と静かに暮らし、経済的にもまったく不自由のない暮らしぶりだったことがうかがえる。
そういう境涯の下で生まれた詩だからか、妻に言わせると生活臭さやじめっとしたところが全くない、誤解を恐れずに言えば「品のある詩」なんだという。 

確かに劇中に朗読される詩を見聞きしている限りでは、妻の言うこともあながち的外れではないなと感じた。
ボクの能書きなど書き連ねるより作品を掲げる。それも字幕に現れた訳詩を掲げる。


私は誰でもないわ
 あなたは誰?
あなたも誰でもないの?
 似たもの同士ね
内緒よ
 追い出されてしまうから
誰かになるのは まっぴら
カエルみたいに公然と
自分の名を聞き惚れる沼に
 叫ぶなんて


彼女の詩には題名がついていないのだ。
詩は解さないボクだが、この詩などはボクにもおやっと思わせるところがある。

もう一遍。こちらは映画には出てこないが教会に対するスタンスがにじみ出ていると思われる作品。


教会へ通って安息を守る人がいます――
わたくしは守ります、家にいて――
ボボリングが聖歌隊員――
果樹園が、ドームです――

白い法衣を着て安息日を守る人がいます――
わたくしは翼をつけるだけ――
礼拝式のため、鐘を鳴らす代わりに、
わが愛らしい堂守りは――囀ります。

神さまが説教します、有名な牧師さまです――
ご法話はけっして長くありません、
だからやっとのことで天国へ、行き着く代わりに――
わたくしははじめから、通い続けているのです。


ディキンスンは生前、妥協して出版することを拒んだため、世に知られることなく無名のまま亡くなったが、死後1800編の詩が発見され、最近になって脚光を浴びている詩人である。
妻がゼミで取り組んだ50年前ですら本屋で見かけることはめったにない存在で、それが最近様々に脚光を浴びるようになってきて、映画が終わって立ち寄った喫茶店で感想はどうよ? と聞いたら「早くから勉強して知っていたというところがちょっと誇らしいわ」と言っていた。

屋根裏の段ボールの中に著作集を入れたままなので下ろしてこようかな、などと言っている。
手元にあるならボクもたまにペラペラめくらせてもらおうかな。





岩波ホールに展示されていたディキンスン関連のグッズ






神田神保町界隈には機動隊がよく似合う。靖国通りを封鎖して右翼街宣車の阻止線が出来ていた


映画を見た後は「さぼうる」でお茶してきた
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