家でぼんやり見送るのも一つの手だが、まあ、せっかくだし、しばらく会えないのだからという気分である。
どこがいいかと考えたが、時々出かける海際の温泉施設の露天風呂で見送ることにした。
あそこなら素っ裸で湯につかりながら広々とした視界が得られ、特に空の様子と表情がよく分かるのだ。
ボクが見送ったのは「夏」である。
今年は来るのも遅れたし、来るには来たもののいつもとは違ってそわそわと落ち着かない感じで過ごしていたのだ。
いつもの年なら一端やって来れば畳の上にデーンと大の字になってくつろいだり、大汗をかいて庭仕事や畑仕事をしたりして過ごすものだが今年は始めから何となく居心地が悪そうであった。
だからロクにくつろぐこともせず、畑仕事も庭仕事もしないまま、「もう帰る」と言い出したのだ。
ヒグラシはさっさと帰って行ってしまったし、ゴーヤもミニトマトも先に行ってしまった…
水臭いと言えば水臭いのだが、何か言えない事情というものもあるのかもしれず、一応引き留めてはみたのだが強く引き留めることはしなかったのだ。
こういう年もあるさ、という気分なのである。そこはたぶんお互い様なのだろうと思う。
ヤツは頑健でとてもたくましい体つきの壮年だから、近くに寄るだけでまぶしいくらいの存在なのだが、その輝きは失われてしまっていた。
空の表情に夏の特徴である抜けるような青さやモクモクと湧き上がる入道雲もなく、濁ったようなぼんやりとした空気で覆われているばかりなのだ。
体調でも悪かったのかもしれない。
来年は元気な姿を見せてくれよと言いつつ、最後は場所を変えて浦賀水道を見渡せる丘の上から手を振って別れてきたのである。
別れた後、三浦海岸駅前の人気の回転すし屋に立ち寄ってささやかながら地魚握りを注文してヤツを偲んだ。
本来であれば、コメを発酵させた水を飲むのだが、車を運転していったので我慢するしかなかった。こういうところにも今年の夏を見送る寂しさ、わびしさというものがにじみ出てくるものなのである。
寿司桶の中には目の前の海とその少し沖で揚がったヒラマサ、ヒラメ、毘沙門イナダ、カツオ、イワシの5種類が並んでいた。
戻りカツオは脂が乗っていたし、どれもそこそこにおいしかったがわけても感心したのはイワシのおいしさである。
芥川賞作家の高橋治は「脂が乗った旬のイワシのおいしさは、高級魚のタイやヒラメが『ゴメンナサイ』と肩をすぼめてすごすご逃げていくほどである」と喝破しているのだ。
その通りで、これこそがヤツの仕事が残してくれていったものなのである。
夏がきっちりと仕事をしてくれて輝いてくれれば、夏の魚はおいしくなり、陸のコメや野菜、果物たちもおいしく実るのである。
今年は様々なところ、特に東北辺りではヤツの働きが悪かったようで、特に動き回れない陸の作物の出来が悪いようである。
ヤツにとっても心残りのことだろうが残念がら現実なのだ。
まあ、ヤツ1人だけが悪いわけではなく、ヤツが暮らす地球の大気の状態が影響しているのだろうが、因果なことよと思いつつ店を後にしたのだった。
まだページ残っているのに夏発ちぬ 花葯
あの温泉施設の露天風呂はボクの作句机でもあるのだ。
露天風呂からの東京湾眺め。3枚目の島は猿島。4枚目のビル群は米第七艦隊軍横須賀基地内の集合住宅群。5枚目は対岸千葉・君津の工場群
金田湾の浜辺に降りてきて波打ち際で立小便をしたら届かないはずの波がざぶりと足まで届いた。しかられてしまったようである。対岸に見えるのは房総半島の鋸山
浦賀水道を見渡せる小高い丘の上から夏を見送った。周囲はキャベツやダイコン、スイカの三浦野菜の産地だが今はちょうど端境期で茶色の台地が広がっている
こちらは宮川湾の上に立つ風車の見える景色。右手奥の方に城ケ島が隠れている
夏の恵みが詰まった地魚寿司(大きな味噌汁がついて1026円)。左下から反時計回りにヒラマサ、ヒラメ、毘沙門イナダ、カツオ、真ん中がイワシ。イワシがおいしいのは、ど真ん中に置かれていることでもわかる
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