久しぶりに円覚寺の日曜説教坐禅会に参加してきた。
横田南嶺管長の説教を聞いた後、15分づつ2度坐り「坐禅をしている自分自身を見つめる」。
まあ、それができれば苦労はないわけで、ボクのような煩悩まみれの人間は「自分自身を見つめよう」とすればするほど、欲望まみれの事柄らが「よくもまぁ…」と思えるくらい、次から次にわいてきて、際限がない。
なんてこった、もっと集中しなくては…と思いつつ、まてよ、よくよく考えると、次から次にくだらないことを思い浮かべるこの姿こそ、ボクの真の姿じゃあるまいか…などと思ったりする。
そうだとすれば、それはそれでやむを得ないことなのだが、少なからずがっかりする気持ちも当然ながらわいてくる。
修行中の若い坊さんがこういう時の指導僧になることがあるが、その坊さん自身の悩みでもあるのだろうが、「煩悩というものは次から次にわいてくるものです。考えないように…と思えば思うほどわいてきて…。だからがっかりする必要も、嘆く必要もありません。人間というものはそういうもののようです」と、まだ煩悩と格闘中であることを正直に告白するのを興味深く聞いた覚えがある。
そういうことを思い出しつつ、冷房のない寺の大方丈はさぞかし暑いだろうなという家を出るときの危惧は、時折吹きぬけていく涼やかな風に「おぉ♪」と吹き飛んで行くが、煩悩だけは相変わらずから次にわきだしてくるのだった。
山門に朝日がきらめく 日曜説教座禅会は遠方からの参加者の便宜を図るためか、午前9時始まり
仏殿のご本尊にあいさつし、大方丈へと向かう
開始15分前の大方丈の内部 この段階ではまだすき間があるが開始と同時にぎっしりの人で埋まる
冷房はなく、四隅にある扇風機と自然の風が頼り この日は時折いい風が吹き抜けた
説教の後の坐禅では建物の奥で座るのは避け、風通しのいい廊下部分の板敷きの上で座る
大方丈玄関前のビャクシンの古木を眺めながら…
煩悩にまみれた後、境内をパトロール 妙香池から仏日庵方面を望む
仏日庵の右手は如意庵の竹林
仏日庵に沿って奥に進むと黄梅院の山門が見えてくる
黄梅院山門下の掲示板に月替わりで掲げられる横田南嶺管長揮毫の書 仏教詩人・坂村真民の詩
谷戸の最深部に位置する黄梅院は深い森に囲まれた別世界のような場所で、夢想疎石の塔頭
野の花を含めて様々な花が絶えないのだが、この猛烈な暑さの下で、なにも咲いていなかった
黄梅院境内の聖観音堂 堂の周囲は紅葉の木々で囲まれ、秋には紅葉が美しい
雲水たち修行僧の修行の場 右の茅葺き屋根が開祖無学祖元の塔頭の正続庵 さらに奥に禅堂と続く
正面は釈迦の骨の一部を祀る舎利殿(国宝)
珍しく日本の男子高校生のグループがいた
大方丈裏の庭園の池が赤い水草で覆われていた
あまり美的じゃない…
在家の人々の坐禅の道場・居士林 山門は紅葉で覆われていて心なしか一部はかすかに赤く染まりだしている
かつて東京牛込にあった剣術・柳生新陰流の道場が戦前に移築され、以後百年余りにわたって使われてきたが、老朽化のため去年から建て替え工事が進められている
寺院建築は300年400年と使うためでもあるのだろう、ゆっくりしたペースで建設が進む
居士林裏の龍隠庵からの光景 仏殿(青い屋根)と茅葺きの選仏場
山門脇の松嶺院の立派な石垣に沿って伸びる参道
総門を入って山門を見上げたところ
欧米系の外国人の姿が目立った
総門を出ると横須賀線の踏切の警報機が鳴っていた
横須賀線ではなく湘南ラインの電車が通り過ぎていく この時正午過ぎ
近くの浄智寺にも立ち寄ろうと思っていたが、暑くてやめ、自転車を漕いで家に戻った