平方録

浅蜊のぶっかけ

急に「浅蜊のぶっかけ」が食いたくなった。
思い浮かべるだけで、口の奥から次々に唾液が湧き出してくるのが分かる。
このぶっかけを温かい白い飯の上に汁ごとかけ、さらさらとかっ込むのだ。
けっしてお上品な食べ物というわけではないが、貝が持つ自然の旨味とぶつ切りにしたネギが貝の旨味を吸って白いご飯にとてもよく合う。

この食べ物を思い出したのは昨日のブログにシラスととアユの稚魚の話を書いていて、次は何かなぁと思い描くうちに、そうだ、アサリだ! となったのだ。
相模湾ではアサリは取れないが、反対側の東京湾は言わずと知れた江戸前の海であり、遠浅の海にはアサリがたくさん生息している。いや、いた。
旬はこいのぼりが薫風に泳ぐ頃だろうから、今の時期はさして美味しくないのだろうが、スーパーなどでは養殖物が時たま並んでいるのを目にすることもある。
それを食いたいと言っているのではなくて、食べるのは旬を迎えてからでいいのだが、とにかく口の奥からあふれ出てくる唾を止めることは難しい。

ボクがこの「浅蜊のぶっかけ」を知ったのは、まず目からだった。
何のことはない、池波正太郎の「剣客商売」を読んでいて次の記述に引き付けられたからだ。

 それから、おみねは夕餉の支度にかかり、たちまちに大治郎へ膳を出した。
 その支度が、あまりに早かったので、大治郎は遠慮をする間とてなかった。
 今が旬の浅蜊の剝身と葱の五分切を、薄味の出汁もたっぷりと煮て、これを土鍋ごと持ち出して来たおみね は、汁もろともに炊きたての飯へかけて、大治郎に出した。
 深川の人びとは、これを「ぶっかけ」などとよぶ。
 それに大根の浅漬けのみの食膳であったが、大治郎は舌を鳴らさんばかりに四杯も食べてしまった。
 食べ終えてから、はじめて気づき、
 「や……これは……」
 赤面したけれども、もう追いつくものではない。(剣客商売「待ち伏せ」より)

それで初めて知って、ぜひ食ってみたいと思ったのだ。
深川まで出かけて行って探せばどこかで食べられたろうが、店で出すとなると気取ったものになりそうで、「おみね」がパパッと作って出したもののようなわけにはいかないだろうと思うと、そういうところに足を運ぶ気になれず、とりあえず本屋に出かけて行って料理本の類をあさってみたのだ。
かれこれ20年も前の話である。

……あるものなのだ。
それも、剣客商売に出てくる食い物をいちいち再現した本が。しかも写真入り、レシピ付きのものが……
ボクは気が向くと時たま男の料理をやるのだ。
このぶっかけに関しては実に簡単で、濃い口醬油3、水5、酒1、みりん1を沸騰させ、浅蜊の剝き身をさっと煮込み、上げる。その汁に五分切りにしたネギを入れ、煮込む。柔らかくなったところに再び浅蜊を加えそれを厚いご飯にぶっかけて出来上がり――というわけである。

これは料理する側の腕前云々以前の問題で、浅蜊と葱がそもそも備えているうまみが自然とにじみ出て味を為すのだから、だれがやってもおいしくできるのだ。
後は醤油を少なめにするか酒の量を増やすかの塩梅の問題であって、基本のキの字は素材の旨味なのである。

浅蜊のぶっかけも、ほどなくすれば口にできるのだ。ウフフ……




3週間前はわずかに地上部に黄色の花びらの先端部分だけが見え隠れしていただけだったが……




円覚寺居士林の陽だまりにはフクジュソウが良く咲いている
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