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平方録

「没頭」ということ

10年余りにわたって我が家の初夏の庭を彩ってくれて来たつるバラの「ニュードーン」を枯らしてしまったショックは尾を引いていて、もやもや感が消えない。
一方で先月16日に種まきをしたパンジーとビオラの苗がすくすく育って、すでに本葉も出そろい、苗床からポットに移し替える時期を迎えていた。
そのまま放置してしまったのではせっかく芽を出した苗は苗床でいたずらに伸びるほかなく、たとえ春に花を咲かせたとしても数もまばらで、株そのものも乱れた姿の魅力ないものになりかねない。
その前に、大きく成長できないと思う。
植物相手の作業には、それぞれ適期というものがあり、それを逃すとなかなかうまくは成長できないものである。ゆえに適期を逃すわけにはいかないのである。
しかし、数日前からこの作業に取り掛かろうとしていたが、あいにく冷たい雨に降りこめられたりで、ようやく昨日の秋空の下、その好機が廻ってきたと思ったら、バラが枯れているのに気づくというショックが尾を引いて、気の重い移植作業となった。
とはいえ、そういう不安な気持ち、あいまいな気持ちのまま作業するのでは、苗にその気持ちが伝搬し、良い花を咲かせるうえで障害になる、というのがボクの持論で、むしろ苗を励ましつつ「いい苗だねぇ、咲くのが楽しみだよ」くらいの誉め言葉や励ましの言葉をかけるのに越したことはない。
でも、そういう余裕のある気持ちに切り替えることができるかどうか…
いささか不安だったが、ボクの特技の一つは作業が単純になればなるほど、その事柄に没頭できるという特性である。
例えば庭の草取りなどは、地面にはいつくばって頑固でしぶとい雑草と格闘するとき、これが坐禅でいうところの無の境地ではなかろうか…と思うくらい、雑念の入らない忘我の境地に浸りきって草に向かっていることがある。
苗床からポットに苗を移し替えるという作業もまた、単純な作業と言える。
かくして作業を始めると、胸のもやもや感は気にならなくなり、移植作業に没頭できたのは何よりだった。
今また、もやもや感は戻ってきてしまっているけれど…
 
 

苗床から苗を一つ一つ掘り上げ、用土を入れたポリ性のポットに丁寧に移し替え、左側の水を張ったトレイに浸して底から水揚げをさせる




苗床から苗を掘り出すとき、根を痛めないようにするのがコツ






なにはともあれ4種類107本の苗の移植が完了した
種を採取して蒔いた品種のうち一つの芽出しが遅れていて、現在養生中のものがあるから、総数はもう少し増えるだろう
 
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