毎日のようにくっきりとその秀麗な姿を見せていた富士山は春霞のベールをまとうようになり、海の中の主役たちも入れ替わってゆく。
カワハギ、キンメダイ、カサゴ、ヒラメが肩で風を切って幅を利かせていた海から、サヨリ、メバル、カマス、サワラ、マダイ、ムギイカたちが「この海は俺たちのもんだぜぃ」とばかりに冬の魚たちに広場から出ていくように迫り、三角ベースや草サッカーに打ち興じるようになる。
そういう春組の仲間にシラスも含まれていて、生は沿岸部でしか口に入らないこともあり、普段縁のない観光客たちにはなかなかの人気者である。
一番最初に観光客の例を引いてしまったが、ドッコイ地元の住民にとってもこの小さな魚は人気が高く、好みもあるけれど生のシラスを肴に冷えた日本酒をちびりちびりやれば、今の時期ならしみじみ春を感じ、もう少し暖かくなって漁獲量も増えだすと炊き立ての白いご飯に細く刻んだ大葉をちらし、その上にたっぷりの生シラスをのせ、シラスの山の真ん中をちょっぴりへこませたところに卵の黄身を落として醤油なり煎り酒なりを数滴たらして掻き混ぜて食べると、これはもう赤坂だろうが京都だろうが高級料亭の板前も腰を抜かすほどに美味で、こんなうまいものを食べたことがない人が案外多いのが気の毒で生らない……とかなんとか声を大にしてひとくさり自慢するのである。
元旦から2か月余り続いていた相模湾のシラス漁の禁漁が11日に解禁になった。
この時期は湾内の水温がまだ幾分低いと見えて、シラスの皆さんが気持ちよくスイスイ泳ぐには少し冷たいためか、例年解禁と共に豊漁なんてことは聞いたことがない。
それどころか、去年あたりはサクラが咲いて、それが散り始めても漁獲がなく、網元はもちろん観光客をおびき寄せるための売りにしている鎌倉や湘南のレストランや食堂はほぞをかまされることになった。
それが例年の解禁直後の現実というものなのだが、それでも自転車に乗って網元の1軒に行ってみたら、出てきたお姐さんが「まだ獲れてないんですよ。魚影がないらしいんです。今日はこんなに海が静かなのに船も出てないんですよ」といささか自嘲気味である。
待ち人来たらず。恋い焦がれる人にはなかなか気持ちが通じないというか、その姿すら拝めない状況はいったいいつまで続くんだろう。
江戸っ子じゃァないけれど女房を質に入れたって食いたいと思う初物の味なのだ。そもそもそれが初物ってもんなのだ。
その初物を食う儀式を済ませないことには季節は春でもお腹の中は冬のままってことになり、それじゃぁ体に良くないんである。
武士道とは死ぬことと見つけたり。鍋島藩の「葉隠」はそう教える。
ならば……「シラスとは無数の目玉と見つけたり」。なんのこっちゃ。
シラスを食べる時、盛られたシラスをしみじみ見て見ると無数の目の玉が光っているんですよね。
箸に乗せて口元に持っていくときも、その無数の目玉がぐっと近づいてこっちをじ~っと見つめているんですナ。
2つの対の目玉だけならつぶらだけれど、ああやって重なり合っているとなぁ~。
ナニ、無数の点と思えばいいんですよ、点々ですな、点々。
シラスやぁ~い
春霞の相模湾にシラスの姿はまだない⁈
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