いつものような大空一杯の星の輝きは姿を消し、代わりに夜目にもわかる分厚い雲が全天を覆っている。
いつもなら、ベランダに出て寒かろうが凍えようが、しばし星々を仰ぎ見て、さすがに冬の空は他の季節より澄んでいるなぁ…などと、いつもの朝がやって来かけていることに安心していたのだ。
その「いつも…」が今朝はない。
「ない」だけでなく、いつもの寒さとは違った種類としか言いようのない寒さが、ベッドから抜け出したばかりの体にピタッと引っ付いてきて離れようとしない。
起き抜けのパジャマ一枚の体にこれはこたえ、ホウホウの体で家の中に引っ込む。
まるで海辺で危険を察知してサッと巣穴に引っ込むカニたちを自分が演じているかのようで、滑稽さに苦笑させられる。
それもそのはずで、昨日は朝からテレビの天気予報が「大雪だ、大雪が降る」と関東地方に暮らすボクたちを脅し続けたのだった。
特にボクの暮らす南関東は平野部でも10センチは積もるだろうと、ボクに言わせれば気象予報士は誰もが得意がっているような口調?! で繰り返していた。
まぁこの2月から3月にかけての南関東は南岸低気圧が通るたびに雪の降る確率が高まるわけで、上空に流れ込む気温次第で雪にも雨にも変わるのだから今日明日に限ったことではない。
言えることは、冬型の気圧配置が崩れ、季節が春に向かって大股で動き出したということであり、春を待ち焦がれる人間にとっては喜ぶべき一里塚なのである。
それがそうならないというところには様々な理由が挙げられるが、ちょっと前の、と言っても10年くらい前までだが、雪景色を見ると自然に笑みがこぼれたものだった。
得意がる? 気象予報士の気持ちもわからないではないのだ。
家の前は坂道になっていて通学路にもなっているから、小学生が滑って転んでけがをしないように早起きをして雪かきするなんてことは現役時代は率先してやっていたことでもあるし、何の苦もなかった。
それだけでなく、近所の公園に出かけてまだ誰も足を踏み入れていない〝真っ白な雪原〟にズカズカ入り込んで自分の足跡を残して悦に入るような知能程度を疑わせるようなところもあったのである。
雪が降れば必要以上にハッスルしたものなのだ。
そういう気持ちで雪に接していたから一茶の句など実に心にしみたものである。
むまさうな雪がふうはりふはり哉
甘そうな雪がふわりふわりと降って来る――そういう風に思える一茶の邪気のない明るさは十分共感できたし、その光景と心情を思い描く度に心地よさに包まれる。
これぞ春の雪にちがいない。
これから降り出すという雪も、春の雪である。
腰のきしみも増してきているし、雪かきに耐えられるかどうか心配ではあるが、春への一里塚と思えばそれも致し方ないか……
近所の公園の湧水場では周囲の岩にへばりついた苔の緑が日増しに濃さを増してきている
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事