毎年よ彼岸の入りに寒いのは
正岡子規のこの句はお母さんの口癖をそのまんま俳句にしてしまった一句だそうだ。
確かに毎年毎年、彼岸の墓参りに決まって寒さがぶり返すのは身に染みて感じて来た事でもある。
それにしても昨日の列島各地は余りの寒波と冷たい雨に震え上がらされたことだろう。
南関東だって夕方の気温があろうことか4℃台にまで下がり、家の中は暖房をガンガン効かせなければ生きた心地がしなかったくらい。
いくら「彼岸の入りが寒い」と言ったって程度の問題だろうと思うのだが、さて、こういう行き過ぎの場合、誰に文句を付ければいいのだろう。
並べた写真はお彼岸一歩手前の17日に訪れた北鎌倉の東慶寺と光照寺の春景色♪
東慶寺のメーンの庭の佇まいは相変わらずだが、所々に緑が差し始めてきているように見える
気が付いたのは所々に灰のようなものが撒かれていたこと
よく見ると炭化したような竹の破片ような固形物も混じっていたので、竹炭や草木を焼いてできる草木灰の類を肥料として撒いているのかもしれない
なるほど…いろいろ工夫を凝らしているんだなぁ…と感心していると、保護色になっているので目立たなかったがツクシがたくさん生えているのに気が付いた
場所によってはこんな具合に密集している
さらに奥に進んだ桜塚の隣の石仏の前に植えられたユキワリイチゲに似た植物がお彼岸に合わせるように、ちょうどうまい具合に花を咲かせていた
石仏のすぐそばには宝石のルビーが落ちていて…
周りの木立を飾るのはハクモクレンとウメかサクラかよくわからない薄いピンクの花
ミツマタの黄色も加わって、浮き浮きするような…
書院の庭のハクモクレンがちょうど見頃に
山門脇、寺務所前の名前の知らないサクラはちょうど満開
境内の奥で何本か咲いていたサクラ風の花はこれと同じかも
東慶寺から西に歩いて7~8分のところにある時宗・光照寺
時宗の開祖一遍上人が鎌倉に入ろうとして巨福呂坂を守る武士に阻まれ、やむなく江ノ島に向かう途中、野宿したところに建てられたのが光照寺だという言い伝えが残されているそうな
そして近世になると周辺の小袋谷村に存在した隠れキリシタンたちを庇護していたとも
その証拠の一つがこの「くるす門」
目立たぬように門の梁の上に掲げられた「くるす紋」 隠れキリシタンはこの紋の中に十字架を隠した
このほか寺には隠れキリシタンが使っていた燭台が今も残されているという
こじんまりした寺だが、本堂の周りにはシャクナゲがたくさん植えられていて「シャクナゲ寺」とも呼ばれているらしい
次はシャクナゲの時期に訪れて見なければ
掲示板に「気候よい彼岸のころは気もゆるみがちです 欲望のままに日をすごさず 気を引きしめて命の重みを考えてみる機会であり…」と書かれていた
掲示板に「気候よい彼岸のころは気もゆるみがちです 欲望のままに日をすごさず 気を引きしめて命の重みを考えてみる機会であり…」と書かれていた
鉋屑のようにぺらぺらに軽く扱われている命もあるし…
八重咲のぼってりした…サクラだろうか
ユキヤナギの盛りは過ぎたようだが、レンギョウとのコラボもこの寺ならでは