最初の内は何事が起っているのか、全くわからなかったのだが、公園に一歩足を踏み入れてびっくりした。
普段子供たちがサッカーやキャッチボールをしている公園の広場にトラックが4、5台も止まっていて、地べたには幹のように太い木の枝がゴロゴロ転がっている。
盛大に枝葉を広げていたケヤキを中心にした木々は無残にも短く切り戻され、冬空に寒々しい姿をさらしている。
一部の木の枝では作業員が命綱をつけてチェーンソーをうならせ、まさに枝を切り落とす作業の真っただ中である。
時々ドサッという重々しい音を立てて太い枝が落下する。
作業員たちが追い払ったのだろう、ブランコは垂れ下がったまま微動だにしないし、ジャングルジムからも歓声は聞こえてこない。主役であるはずの子供たちの姿が消えてしまっているので、一層寒々しさが増すのである。
街路樹を中心に都会では木々のせん定というのはありうることである。
交通の障害になるようなことがあればそれはなおさらで、障害は取り除いておいてもらわなければならない。
しかし、それにだって切り方に秩序というものもあるだろうし、いわんや広々した公園の樹木に関しては、ある程度自然のままにしておくというのも大切な選択肢なのではあるまいか。
例えば東京の日比谷公園や有栖川公園のケヤキやクス、イチョウなどの巨木の枝がばっさばっさと切り刻まれることがあるか?
ニューヨークのマンハッタンの中央にあるセントラルパークの巨木の森が切り刻まれるか?
そんなことをしたら、東京でもニューヨークでも行政の担当者は市民から猛烈な非難を浴びるはずである。
如何なる理由のもとに、かくも盛大なせん定作業が成り立ちうるのだろうか。
わが家周辺では去年の秋、イチョウが色づき始めたなと思った矢先に街路樹のイチョウ並木が1本残らず枝葉を切り落とされてしまったのである。
それは見事というほかない早業であったのだが、どう考えたって人の目を楽しませる黄葉を前にしてのせん定理由は見当もつかないのだ。
街路樹とは無関係だが、古都として800年を超える歴史を持つわが街には自然をそのまま残した公園がいくつかあるが、わが家に近い公園を含めてそのいくつかは夕方から朝まで門扉を閉ざしてしまうのである。
夕方は5時半に締め出され、朝は8時にならないと門は開かないのである。
こんなことではわが町の小学生はセミの羽化1つ観察できないだろう。未来のファーブルや養老孟司は必要ないのである。何が自然公園だ! 聞いてあきれる。
そういう緑行政を続けている街なのである。
きっと緑行政の担当者たちはサディストの集団なのである。そうとしか考えられないじゃないか。

ケヤキの大木に取りついて枝を落とす作業員

切り落とされた枝の残骸

切り刻まれて無残な姿をさらす木々