サクラは満開、春霞が漂っているものの空に雲はひとつも無く、学校もお休みというジャストタイミングに訪れたことはなかったので駅も上野公園も動物園も人、人、人…でごった返しているのにびっくりした。
これほどまでとは思わなかったのだ。認識を改めさせられた。
4月から4年生になる姫は既にジイジのボクとお風呂に入ることはなく、混雑しているところなどではぐれないように手をつないだ方が安心できるのだが、すでに親ともつなぎたがらなくなっているので、後ろを振り返り振り返り歩くことになる。
とはいえ、自分だって迷子になりたくないからボクの後を遅れることも離れることもなくぴったりくっついてくるから、とりあえずは安心である。
そんな成長過程にある姫だが、一昨日に砂鉄を集めに行った稲村ケ崎の砂浜では砂鉄集めにすぐ飽きてしまい、波打ち際で寄せる波と戯れたのだが、こういう時は別でボクの手をしっかり握りしめて波に対峙し、しぶきがかかったと言っては大はしゃぎし、立っている足元を引いていく波が足を砂にうずめていくぅ~と叫んではキャァキャァ大声を出しながら、それでもボクの手を絶対に放そうとはしないのだ。
この辺の落差がボクにはとても微笑ましく思えて、一層可愛さが募るのである。まだ子供なのだ。
つぼみそのものの姫なのだが、観察していると実に目が良く動く。
ボクの数十倍と言ってもいいくらいに目を動かしている。
極端な話をすれば混雑する駅でホームに上がるまでに100人の人とすれ違ったとすると、その100人の持ち物から服装から表情に到るまですべてを瞬時に認識し、同じような女の子がミニオンの絵柄のポシェットを持っていればそれを認識し、年上のお姉さんがスヌーピーの付いた手提げを下げていれば、それを瞼に焼き付ける。
ちょっと変な顔やしぐさをするようなおじさんを見ればさっと僕の後ろに隠れる。エトセトラ、エトセトラ…
ボクなんかは疲れてしまうのであえて見ないようにしていることも含めて、目に飛び込んでくるものはすべて認識してしまうのだ。
そうなるといくら若い細胞の持ち主だってくたびれるに決まっている。
だから姫は東京のターミナル駅を通過したり繁華街の人混みに連れて行くと、だんだん疲れがたまってくるのだ。
帰り道ではぐったりしてしまい、夕暮れ時などに差し掛かると涙ぐむことさえあるくらいなのだ。
でもさすがに昨日あたりは人混みに慣れたというか、目に入るものすべてを認識しないでやり過ごすことも覚えたようである。
そう、それでいいのだ。
世の中にはじっと目を凝らして目を背けちゃいけないものも多いが、無視した方がいいものだって山ほどあるのだ。
若いつぼみは日々さまざまなことを学んで成長していくのである。
砂鉄集めに飽きたので…
サクラが満開の上の公園は通路が見えない
動物園の入り口も長蛇の列
初夏のような日差しに故郷を思い出したか、このサイはじっと動かなかった
不忍池のほとりの西園から見る春霞に浮かんだスカイツリー
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