ただし、雪はすぐに止んでしまい、明るくなるにつれて消えてしまったが、一日中雲が低く荒れ込め、温度は上がらず不景気極まりない。
寒さに打ち震えながら外出する気もないし、そんな差し迫った用事もないので、朝ごはんを済ませるとさっさと掘りごたつにもぐりこみ、こたつのシミとなって過ごした。
友人のブログによれば、一人暮らしの知人の女性は冬になると家で一番狭い3畳間に籠りきり、寝るのも昼間もそこで過ごすのだそうだ。
その理由は部屋がすぐに温まり、一日中暖房をつけていても安上がりで済むという、もっぱら経済的な理由からだという。
これはとても合理的な考えで、まぁ一種の冬ごもりといって差し支えない。おそらく3畳間にはテレビも備え付けてあるのだろうから、すべて手の届く範囲の中で過ごすことができるのである。
わが家の居間は普通の家の居間に比べると若干広く、しかも台所のスペースと一緒になっているのでなかなか暖房が行き届かない。
8畳間にあるようなエアコンが一つと2区画に分けられた床暖房があり、さらに掘りごたつが切ってあるのだが、今冬の寒さに苦戦中なのである。
エアコンだけでは部屋が温まりにくい。床暖房は割安だが、平均的な冬の寒さなら問題ないが、今冬のような寒さが続くと物足りないのだ。
エアコンと床暖房をフルに動かせばあったかくなるし、食事の支度を始めればコンロの熱も加わるからより効率的に暖まる。
しかし、日中これを続けるのはいくらなんでも不経済である。
夫婦二人で暮らすには、冬のわが家は少し広すぎるのだ。一番狭い部屋でも8畳間だし…
ただし夏は快適で、庭に木陰はあるし風の通りが良いので、ひと夏でエアコンを使うことはほとんどない。台風で窓も開けられないような時に使うだけである。
熱帯夜だって少しだけ風が通るようにしておけばエアコンの出番はないのだ。
そこへ行くとこたつは小電力で温かいから、部屋のずべての暖房を切っても平気である。難点は抜け出せなくなることだが、こたつのシミになったボクは昨年末に聞かなかったベートーベンの第九交響曲をかけ、FM放送の音楽番組を流しながら前日街の玄関口にあたる駅前の本屋の「地元本コーナー」に並んでいたたくさんの書物の中から選んだ「鎌倉を楽しむ俳句」という本を広げたのである。
高校の先生だった人が書いたもので、鎌倉の句ばかりを集め、どこを開いてもなじみの情景が浮かんで来るので、思わず買ってしまったのである。
まぁ、ちょっとかじっている人間にとって刺激になったことは間違いない。
まだ3分の1くらいしか読み進めていないが、ちょっと目に止まった句を列挙すると…
秋天の下に浪あり墳墓あり 高浜虚子
曼珠沙華咲て政子の墓に詣ず 河東碧梧桐
鎌倉の果てから果ての小春かな 久保田万太郎
谷戸々々に友どち住みて良夜かな 永井龍男
鎌倉や畠の上の月一つ 正岡子規
大仏のうつらうつらと春日哉 同
柿ひさぐおせいの茶屋か建長寺 石塚友二
鐘つけば銀杏ちるちる建長寺 夏目漱石
円覚寺は人気があるらしく、句の数はだいぶ多かった。
連翹(れんぎょう)の一枝円を描きたり 高浜虚子
一院の花に終始すたたずまひ 松本たかし
蟻が食う蛾がきらきらと円覚寺 加藤楸邨
仏性は白き桔梗にこそあらめ 夏目漱石
其許は案山子に似たる和尚かな 同
まぁきりがないのでこれくらいにしておくが、帰源院に参禅した漱石の前に現れた坊さんは、よっぽど「へのへのもへじ顔」だったものと見える。坊やゃんのセリフそのもののような句である。あとで腹を抱えて噴き出していたんじゃなかろうか。
‟こたつのシミ”の冬ごもりの友は買ってきたばかりの本と一合の冷酒、炒めなますでゴクラクゴクラクなのだ
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