平方録

俺が危い

衝撃的な立看板と言っていい。

白地に真っ赤なペンキで大書された文字は「俺が危い」。
それも相当な達筆である。
赤い文字の下に「交安協須賀川支部」とあるから交通安全を呼び掛ける看板であるらしい。
栃木県大田原市郊外の人里離れた禅寺・雲厳寺前のバス待合所に立てかけてあった。

「安全は一人一人の心がけ」「運転はゆずるやさしさ待つ心」「気を付けて! 心の油断が事故招く」などなど。
交通安全を呼び掛ける標語はそれこそ星の数ほどもありそうだが、これはまた何と意表を突いた標語だろう。
そして書体そのものも「危うさ」というものを表しているようで、思わず「んっ! 」と目を見開かされる。

交通安全を呼び掛ける標語というものは、小学生など歩行者を対象にしたものもあるにはあるが、その多くはハンドルを握るドライバーに向けて注意を呼び掛けるものが主流だろうと思う。
「俺が危い」が歩行者への安全を呼び掛ける標語と読めなくもないが、やはりこれもまた主たる対象者を運転者に定めて安全運転を呼び掛けている標語に違いない。
もしかしたら自己中心的な社会の潮流に沿って「ジコチュー」意識に訴えかけながら注意を呼び掛けているのかしらん。そこも気になる。

それにしてもまるで禅問答のごとき標語ではないか。
いくら日本における臨済禅の4大修行道場のひとつの門前だからと言って、そこまでやるかという思いである。
でも、もしかしたら雲厳寺の和尚が一役買って出て、標語づくりに協力したのかもしれぬ。
言い得て妙、かみしめてみると考えさせられる標語になっているところは、してやったりか。

標語の脇に書き添えられた「九十六? 水月」とは何か。
そもそも文字の一部が判読不明だし、一体全体どんな意味合いを持たせているのかも気になる。
「九十六? 」はまさか一九九六年を略したものではないだろうし、今から20年も前の立看板とも思えない。ましてや「水月」が「水無月」の省略でもあるまい。

水月には人体の急所の一つである「みぞおち」の意味や兵法における陣立ての一つで本物の月と水に映る月とが対峙する様を指したり、三十三観音の一つである水月観音というのもあるそうだ。考えすぎか…
それとも人の名?
いずれにしたってボクには謎めいた立て看板として目に焼き付いたことだけは確かである。



大きくて目立つ「俺が危ない」の立看板


那須塩原駅行きのバスが1日4本走っている


箱根連山と丹沢山塊を従えた富士の峰の空はあくまで高く広く、そして青い=湘南海岸片瀬西浜


4日間内陸にいたので海と広い空が恋しくなった。それにしても昨日はよく晴れ上がった
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