「平方録」という名称は在職中からボクが手元に置いていたノートにつけた名前である。
日々の生活の中で「へぇ~」とか「ほぉ~」とか感じる心の動きをそのままメモにして書き連ねていた。
「へぇ~」も「ほぉ~」も「えっ!」とか「おっ!」「なにっ!」というような瞬発的、あるいは爆発的な速度や強い衝撃を伴ってやって来るものと違って、ややのんびり気味にある意味じわじわ、しみじみ伝わってくるという性格を帯びたものという点に特徴がある。
それは喜怒哀楽という言葉で表される感情に沿って生じるもので、と言っても人によって感じ方は千差万別で一様でないところはもちろんだが、たいていの人には「ハハァ~ン」と分かってもらえる内容だと思っている。
文字通り「ごく日常的な感嘆符」といっていい。
そうして感じたものをメモしておいたのは、そう感じさせる出来事の底流に放置できない何かが潜んでいるような場合があるような気がしていたからで、いくつか表面に浮上したものをつなぎ合わせるとそれが社会の新しい潮流なりうねりを作り出していたり、見過ごすことのできない危険要素をはらんでいたり、つまり個別の事象ばかり見ていたのでは結ばない「ある種の像」がおぼろげながらピントが合って見えてくるからだった。
ボクが就いていた仕事にそれは役立った。現象面ばかりを追いかけ回すのではなく、時には立ち止まってその底流に何が潜んでいるのかを見極めるためにも必要だったのだ。
リタイアした今、仕事に役立てる必要はなくなったが、世の中を見るための一つの方法として、いわば習い性が続いていたわけだが、どういう分けだか最近それが億劫になり始めている。
簡単に言えば「へぇ~」も「ほぉ~」も感じにくくなったと言ったほうが早いかもしれない。
鈍感、無感動、無関心…いずれ廃棄物。
望んでいるわけではないが、早い話が世の中と距離が出来始めているってことだろう。
ひょっとしてロージン特有の現象だとしたら、好ましいことではない。世の中への興味・関心が薄れ出したとしたら…
一つだけ心当たりがないではないが、今は書かない。
長くなってしまいそうだから。
こういうちょっとした変化なのだろうが、ブログを書く際にもその変化が及んでいるらしく、ここのところ世の中に対する関心の度合いが薄れているように感じられ、例えば「怒り」なんてあまり感じなくなってきているようなところが我ながら恐ろしい。
のんびりした安否確認でいいというならそれもアリなんだろうが、それじゃぁどうにも収まりは良くない。
いっそやめちまうか。そうすれば朝寝も出来るし…
そういう思いも頭をよぎる。
見出しの写真は「空蝉」の2番花 ♪
昨日の空も青く高かった。いつも海辺と田園地帯ばかりだからたまには山へ。
緩やかだが1・3kmの長い坂、それに続き500mのややきつい坂、そして200mと150mの2本の急坂。この坂道はだんだん険しくなる4段式坂道で「こころ旅」のヒノショーヘイも涙を流して喜びそうなところだ。
昨日は距離は大したことなかったが、坂道ばかり4か所も選んで自転車を漕いできた。何せ肺機能は90代って言われてんだ。全部漕いで登ったよ。
トンネルの先も緑
海に舞い戻る…って言うか、海と山がくっついているんだからちょっと走ればこうなる
=稲村ケ崎
風呂場の背景画にどうぞ。帆掛け船はテキトーに配置可デス。今はヨットか。