僕が三十歳になった二〇〇四年は、人生における性欲発散の絶頂期だった。結論から言うと、この年の自慰回数は七百六十二回(七百七十二回だったか?)と、一日平均に換算すると二回以上射精していたことになり、翌年からは減少に転じる。残業がなかったら、週末は自室に引きこもる“非リア充”生活の連続だったことに加え、良質のオナペットに数多く出会うことができたから、僕のペニスは勃起と射精を繰り返さずにはいられなくなった。
この年のコアになったオナペットを時間の経過順で振り返ってみると、まず川村ゆきえが挙げられる。美少女と巨乳を兼ね備えた素材は滝沢乃南で経験済みだが、滝沢がぽっちゃり気味なのに対して、川村は佐藤寛子ほど体脂肪率は低くなさそうだが、運動経験者のような均整のとれたスタイルでデビューしたので、僕の執着度は滝沢を大きく上回った。川村の写真集が発売されれば、狂ったように自慰に勤しむだろうとわくわくしながら発表されたのが一作目の「17ans~ディセダン~」だった。
つい最近までグラビア活動を続けていたのだから、川村のプロフェッショナル意識には感心するばかりだが、僕が彼女に夢中になったのはこの年だけだ。一作目と二作目の「1or8」はかなり使わせてもらったが、すでに川村が十八歳を過ぎていたのと、川村のような美少女と巨乳の両方の要素を併せ持った素材が次々と表れてくるので、僕にとって彼女は絶対的な存在にはならなかった。
僕の中で、川村のグラビアは〇四年しか知らない。しかし、川村は結婚するまで人前で水着姿になって扇情的なポーズをとる仕事を続け、その映像作品が市中に出回って男性たちの自慰を捗らせた。川村と同じスタートラインで芸能界に入ったモデルは数多いが、そのほとんどは人知れず引退していく。一方で、文化人を気取ったり、大物芸能人に取り入って芸能界にしがみついていたりするのもいる。人前で素肌を晒し続けるのは、本人の徹底した自己管理が求められるわけで、僕は芸能活動の転換を図り、グラビア時代をなかったものとする連中よりも、川村のほうが潔さを感じるし、共感を覚える。
三十歳を過ぎてもグラビアの仕事を続けていた川村も、芸能界で生き残るための図太さの経験値を高めたようで、それは今後も決して表に出ないほど生々しいことなのかもしれないが、かといって佐藤のように未婚の母を公言したり、杉原杏璃のように大手芸能プロダクションの一族に嫁いだりするような大胆不適さもない。バンドメンバーの妻になっても、芸能界引退を宣言したわけではないので、自身がまだ商品価値を発揮できる余地を残している。
空白期間はあったものの、グラビア活動を十五年も続けられた川村は平成のレジェンド的存在であって、令和になっても四十代、五十代になっても人前で水着姿になって男性たちの劣情を掻き立てる。“終身グラビアアイドル”の称号を手に入れられるか。そんなファンタジーを、僕は期待している。
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