邪馬台国の比定地は様々あるが、
魏志倭人伝の一行が辿った『対海国』、『一大国』、『末盧国』、『伊都国』、『奴国』は
ほぼ特定されているようだ。
『対海国』は対馬、『一大国』は壱岐島。
今回のサイクリングは一行が九州へ上陸した後の『末盧国』、『伊都国』、『奴国』へ。
高速バスで福岡へ、福岡から地下鉄空港線・筑肥線で唐津駅に9時過ぎに着。
まずは、末盧館へ。
今日は収穫祭との事で園児達で賑わっている。
海岸へ。
唐津城へ上がれば見晴らしは良さそうだが、先を急いで今回はパス。
鏡山の南側を廻って海岸線の国道202号へ。
4世紀頃の海面は現在より数メートル高かったとの事。
なので202号や筑肥線は海の中。
当時の海岸線は断崖で歩くのは無理と実感。
魏志倭人伝によれば「(末盧国から)東南陸行。五百里。伊都国に到る」との事。
鏡山の南側から現代の道で国道323号、県道12号辺りを峠越えしたのだろうか?
まあ、サイクリングなので見晴らしの良い海岸線を走る^^;
しかし、何故『末盧国』から『伊都国』へは峠越えの陸行なのか。
舟で行けば良いのに。全く釈然としない。
そんな事を考えていると昼時。
202号バイパスが主道となって海岸線202号の交通量は少なく走り易い。
そんな寂れた国道沿いのドライブインでちゃんぽん、満足!
伊都国に入り平原遺跡に。
遺跡は調査後は土は戻されているので遺跡と知らなければただの公園。
古墳を何か所か見て廻る。
そして立派な建物の伊都国歴史博物館へ。
レプリカの銅鏡、銅も磨けばこんなに綺麗に写るんだ。(ここのみ写真可)
さすが国宝を展示してあるだけあって見応えは有った。
これだけの物が出土していれば特別な国で有った『伊都国』ってこの辺りだったのでしょう。
『末盧国』から『伊都国』への峠越え陸行は納得出来ないけど^^;
次は日向峠(県道49)を越えて奴国を目指す。(日向って名はいわく有りげ)
吉武高木遺跡
室見川
本日最後の目的地、奴国の丘歴史資料館。
30分ばかり予定より到着が遅れて奴国は閉館でした。
JR南福岡駅で輪行袋に収めて博多駅へ、高速バスで帰路に。
行きたかった3国巡りが出来て満足。
コースはこちら。
魏志倭人伝の一行が辿った『対海国』、『一大国』、『末盧国』、『伊都国』、『奴国』は
ほぼ特定されているようだ。
『対海国』は対馬、『一大国』は壱岐島。
今回のサイクリングは一行が九州へ上陸した後の『末盧国』、『伊都国』、『奴国』へ。
高速バスで福岡へ、福岡から地下鉄空港線・筑肥線で唐津駅に9時過ぎに着。
まずは、末盧館へ。
今日は収穫祭との事で園児達で賑わっている。
海岸へ。
唐津城へ上がれば見晴らしは良さそうだが、先を急いで今回はパス。
鏡山の南側を廻って海岸線の国道202号へ。
4世紀頃の海面は現在より数メートル高かったとの事。
なので202号や筑肥線は海の中。
当時の海岸線は断崖で歩くのは無理と実感。
魏志倭人伝によれば「(末盧国から)東南陸行。五百里。伊都国に到る」との事。
鏡山の南側から現代の道で国道323号、県道12号辺りを峠越えしたのだろうか?
まあ、サイクリングなので見晴らしの良い海岸線を走る^^;
しかし、何故『末盧国』から『伊都国』へは峠越えの陸行なのか。
舟で行けば良いのに。全く釈然としない。
そんな事を考えていると昼時。
202号バイパスが主道となって海岸線202号の交通量は少なく走り易い。
そんな寂れた国道沿いのドライブインでちゃんぽん、満足!
伊都国に入り平原遺跡に。
遺跡は調査後は土は戻されているので遺跡と知らなければただの公園。
古墳を何か所か見て廻る。
そして立派な建物の伊都国歴史博物館へ。
レプリカの銅鏡、銅も磨けばこんなに綺麗に写るんだ。(ここのみ写真可)
さすが国宝を展示してあるだけあって見応えは有った。
これだけの物が出土していれば特別な国で有った『伊都国』ってこの辺りだったのでしょう。
『末盧国』から『伊都国』への峠越え陸行は納得出来ないけど^^;
次は日向峠(県道49)を越えて奴国を目指す。(日向って名はいわく有りげ)
吉武高木遺跡
室見川
本日最後の目的地、奴国の丘歴史資料館。
30分ばかり予定より到着が遅れて奴国は閉館でした。
JR南福岡駅で輪行袋に収めて博多駅へ、高速バスで帰路に。
行きたかった3国巡りが出来て満足。
コースはこちら。
そこまでは考えていませんが対海国(対馬)、一大国(壱岐島)には行ってみたいとは思ってます^^
その前に近場でも行きたいところも。
海面が高く当時の糸島はまさしく島だったとの事です。
いつの間にか何冊も邪馬台国関連本を読んでしまった^^
末盧国から伊都国へのルート・考察でその本(案)の信憑性を判断したりしてます^^;
中には海岸線を陸行するルートであったり、なんの根拠も示さずあっさりと水行と断定する本も有ったり。
邪馬台国関連本は何でも有りって感じです^^;
4世紀前の海面は数m高かったとは、
となると今の海岸線とはかなり違っていますね。
昔の人の行動、何故?と思う事がありますよね。
まあ、潮の流れや風向きなど色々とあったのでしょう。