昨日は山鹿方面へ史料館巡り、今日は宇土・宇城方面へ古墳巡り。
熊本平野の北端と南端へのサイクリング。
10月27日(土) 熊本県立装飾古墳館・山鹿市立博物館
方保田東原遺跡の出土品の殆どは山鹿市立博物館に展示されているとの事。
古代の森周辺は何度も行っているけど県立装飾古墳館には入った事が無い。
一度は見学してみたいと思っていたので山鹿の史料館と玉名でのランチを設定して出発。
開館9時半ドンピシャで到着、県立装飾古墳館。
館内は写真OK
古墳内部の写真(絵画?)
レプリカと言え、こんな感じで古墳の雰囲気を体感出来た。
屋上に上がって古墳郡を眺める
装飾古墳に特化した資料館で予想よりはるかに見応えは有った。
ただ、概ね6世紀から7世紀の古墳。(卑弥呼は3世紀後半)
で、次と言うかこの日メインの山鹿市立博物館へ。
館内は写真NG。
方保田東原遺跡の出土品は遺跡近くに展示した方が良いのでは?
実際の遺跡の雰囲気が伝わらず、ただ出土品を並べてある感じ。
そんな残念な気持ちだけどお腹はグー、ランチ処を目指す。
グーグー言っているので江田船山古墳(前方後円墳、5~6世紀)はサクッと。
こちらは虚空蔵塚古墳(前方後円墳、5世紀後半)
スープを一口すすってやっぱウマー!、麺のこやま。
帰路はミカン畑から吉次峠越えで。
この日のルートはこちら。
10月28日(日) 宇土・宇城方面へ古墳巡り
以前より気になっていた宇土・宇城方面の古墳へ。
熊本県下では宇土・宇城方面の古墳が時代として古いらしい。
そんな古墳を散りばめたルートを設定して出発。
地震で傷んだ道路がようやく修復された秋津川沿い。
緑川を渡る、古代の人はどのように渡っていたのだろう?
まずは以前に塚原歴史民俗資料館で知り、
気になっていた城南町の新御堂遺跡(弥生時代3~4世紀)へ。
遺跡ウォーカーによれば緯度経度は32.710611, 130.735583 。
その場所がこの空き地、不動産の看板があるのみ。
緑川流域で結構な高台、弥生時代の遺跡には十分な条件かな。
まあ、雰囲気がわかったので次を目指す。
宇土市に入り、本日最初の古墳。楢崎古墳(前方後円墳、5世紀中頃)
こんな建物で保存されている。
立岡自然公園の池を渡る。
以前にも来ている晩免古墳(円墳、5世紀後半)に。
数km走って、本日のメイン向野田古墳(前方後円墳、4世紀末頃)へ。
そう、舟形石棺に埋葬されていたのは30代と思われる女性との事。
それもかなりの副葬品と一緒に。時代が1世紀早ければ。。。
このあたりの権力者だったのか、もしくはその親族だったのかな?
かなりの斜度を上って宇賀岳古墳(円墳、6世紀前半)、ここも以前に来た事はある。
宇城市街地に入って大塚古墳(前方後円墳、5世紀頃)、ここもちょっとした丘。
宇土半島の海岸線に出る。
ミカン畑を上り、桂原古墳(円墳、6世紀後半)
舟が描かれているとの事。船長の墓なのかな?
高台を一旦海岸線まで下りてまた上って国越古墳(前方後円墳、6世紀後半)
ミカン畑を上って本日最後の古墳、鴨籠古墳(円墳、5世紀後半)へ。
こうやって詰め込んだメニューだったので、あー、やっと本日のノルマ達成!って感じ。
おっとあと一つ、古墳ではないけど。轟貝塚。
完了! ランチだー。
今日もラーメンでこちら「らーめん栄力」へ。
今日はもやしラーメンが390円也。
この店も好みだけど昨日の「麺のこやま」は別格と改めて思ったり。
今日巡った古墳は全て高台にあった。阿蘇の中通古墳群は田園の中だったナー。
などと余韻に浸って浜戸川、緑川、加勢川、秋津川沿いで帰路に。
今日のルートはこちら。
※記事中の遺跡・古墳の時代は参考史料、HPによって異なる。目安として記載。
熊本平野の北端と南端へのサイクリング。
10月27日(土) 熊本県立装飾古墳館・山鹿市立博物館
方保田東原遺跡の出土品の殆どは山鹿市立博物館に展示されているとの事。
古代の森周辺は何度も行っているけど県立装飾古墳館には入った事が無い。
一度は見学してみたいと思っていたので山鹿の史料館と玉名でのランチを設定して出発。
開館9時半ドンピシャで到着、県立装飾古墳館。
館内は写真OK
古墳内部の写真(絵画?)
レプリカと言え、こんな感じで古墳の雰囲気を体感出来た。
屋上に上がって古墳郡を眺める
装飾古墳に特化した資料館で予想よりはるかに見応えは有った。
ただ、概ね6世紀から7世紀の古墳。(卑弥呼は3世紀後半)
で、次と言うかこの日メインの山鹿市立博物館へ。
館内は写真NG。
方保田東原遺跡の出土品は遺跡近くに展示した方が良いのでは?
実際の遺跡の雰囲気が伝わらず、ただ出土品を並べてある感じ。
そんな残念な気持ちだけどお腹はグー、ランチ処を目指す。
グーグー言っているので江田船山古墳(前方後円墳、5~6世紀)はサクッと。
こちらは虚空蔵塚古墳(前方後円墳、5世紀後半)
スープを一口すすってやっぱウマー!、麺のこやま。
帰路はミカン畑から吉次峠越えで。
この日のルートはこちら。
10月28日(日) 宇土・宇城方面へ古墳巡り
以前より気になっていた宇土・宇城方面の古墳へ。
熊本県下では宇土・宇城方面の古墳が時代として古いらしい。
そんな古墳を散りばめたルートを設定して出発。
地震で傷んだ道路がようやく修復された秋津川沿い。
緑川を渡る、古代の人はどのように渡っていたのだろう?
まずは以前に塚原歴史民俗資料館で知り、
気になっていた城南町の新御堂遺跡(弥生時代3~4世紀)へ。
遺跡ウォーカーによれば緯度経度は32.710611, 130.735583 。
その場所がこの空き地、不動産の看板があるのみ。
緑川流域で結構な高台、弥生時代の遺跡には十分な条件かな。
まあ、雰囲気がわかったので次を目指す。
宇土市に入り、本日最初の古墳。楢崎古墳(前方後円墳、5世紀中頃)
こんな建物で保存されている。
立岡自然公園の池を渡る。
以前にも来ている晩免古墳(円墳、5世紀後半)に。
数km走って、本日のメイン向野田古墳(前方後円墳、4世紀末頃)へ。
そう、舟形石棺に埋葬されていたのは30代と思われる女性との事。
それもかなりの副葬品と一緒に。時代が1世紀早ければ。。。
このあたりの権力者だったのか、もしくはその親族だったのかな?
かなりの斜度を上って宇賀岳古墳(円墳、6世紀前半)、ここも以前に来た事はある。
宇城市街地に入って大塚古墳(前方後円墳、5世紀頃)、ここもちょっとした丘。
宇土半島の海岸線に出る。
ミカン畑を上り、桂原古墳(円墳、6世紀後半)
舟が描かれているとの事。船長の墓なのかな?
高台を一旦海岸線まで下りてまた上って国越古墳(前方後円墳、6世紀後半)
ミカン畑を上って本日最後の古墳、鴨籠古墳(円墳、5世紀後半)へ。
こうやって詰め込んだメニューだったので、あー、やっと本日のノルマ達成!って感じ。
おっとあと一つ、古墳ではないけど。轟貝塚。
完了! ランチだー。
今日もラーメンでこちら「らーめん栄力」へ。
今日はもやしラーメンが390円也。
この店も好みだけど昨日の「麺のこやま」は別格と改めて思ったり。
今日巡った古墳は全て高台にあった。阿蘇の中通古墳群は田園の中だったナー。
などと余韻に浸って浜戸川、緑川、加勢川、秋津川沿いで帰路に。
今日のルートはこちら。
※記事中の遺跡・古墳の時代は参考史料、HPによって異なる。目安として記載。
来週玉名に行く予定なので麺のこやまに行ってみたいと思います!数年前に食べた事あるのですが飲みの後という事もありまったく味を覚えて無いのです。
出土されたのを並べただけでは、ちょっと雰囲気がわかりにくいかも。
こうしてみると、古墳か丘か案内板が無ければ見分けがつきにくいですね。
もしかすると、子供の頃に遊んでいた丘が古墳だったりして(^^;
楢崎古墳がしっかりと建物で覆われているのにはちょっと驚きました。
麵のこやまはお気に入りのようですね。
今まで「古墳」を貴重なものと思っていましたが、自分が知らなかっただけでこんなにたくさんあったんですね。
博物館とお勧めのラーメン屋さんには行ったことがないので行ってみます。
そうですね、ググると素人・趣味でかなりマイナーな方々が。
自転車乗りには大なり小なりそんな方も多いのでは。
あっ、私は小でも極小ですが^^
何事も好みは人それぞれでしょうが、麺のこやまは私の好みにドンピシャです。
装飾古墳館、本物の展示は少ないのですが楽しめました。
「何故装飾古墳が出来たか」の20分程度映画を見たのですが、これも面白かった。
ちょっとした丘は掘れば古墳が出てくるのでは?と思うこの頃です^^
建物の傷み具合からたぶん市立博物館の後に県立装飾博物館が出来たのでしょうね。
その時点で古代の展示として市立博物館の存在意義が微妙になったのでは?
古墳関連は県立装飾博物館にまかせて市立の方は方保田東原遺跡メインにした方が良いのではと思った次第です。
楢崎古墳の建物には周囲とのアンマッチな雰囲気には違和感がかなりありましたが、それも有りかなと。
いえいえ、とんでも有りません。
邪馬台国に取りつかれて、ネットで調べた程度です。
九州は半島に近い事から弥生時代の頃は日本で最先端だったようですね。
その後は中央の大和に対しても反骨心が強かったよう。
そんな気質を受け継いでいるのかと思ったりするこの頃。
文字が一般的に普及していなく記録が殆ど残っていない古代を想像するのも結構楽しいものです、ハイ。
そろそろ、ピッチャーマウンドも古墳に見えてくる頃かと存じます。
装飾古墳館はレプリカが多くて撮影可が多いですが、山鹿市博物館は本物が多いので撮影不可になることが多いのでは?
ハイ、ちょっとした盛土は古墳に見えてしまいます^^
そうですね、本物はフラッシュによる変色防止の為と思います。
一般的に博物館・史料館は写真禁止のよう。
でも、何故か塚原歴史民俗資料館は写真OKだった。(と解釈・記憶)
もしかしたら単に私の勘違い?