ーガエタナの家族との出会いー
ガエタナ、初めてのイタリア人の友人だ。イタリアで家族を尋ねる機会がもてた。
フランスは10年ちかくすみ、何人かの友人に招待されたし、家族のようなつきあいになっているひともいる。一方、イタリアは、バングラデッシュへ行く前に3週間ほど、旅行したが、それはイタリアルネサンスを本でよんだが、実際美術館へいって、自分の目でたしかめたかったためだ。その後、イタリアへは数回いったが、いずれも旅行で、ヴェネチア、ローマ、フィレンツェ、カプリ、ナポリ、ソレント、トスカーナ地方へいき、それぞれ10日から2週間はかけて、朝早くからおきて、フィレンツェの、ウフツイ美術館に通い、ローマもあるけるだけあるいて、バチカン美術館も3回くらいいった。
イタリアローマにすんだのは、2003年11月上旬から、2005年5月上旬までの、1年半だった。その間、国連の食糧農業機関で、仕事をしたので、国連のレッスンで、イタリア語もまなんだがミッションで、中断。フランス語にかけてきた情熱に比べるとイタリア語は、会話ができるほどではないし、それもあって、イタリア人との交流、会話は困難だった。仕事場では99%英語の世界でこれも、悩みの種だった。
ある日、福井の母から電話とFAXで、ガエタナというイタリア人女性が鯖江の国際交流会館ではたらいているという話をきいて、日本語をナポリで勉強し、日本語は達者だという。それで、EMAILのアドレスをきいて、妹に連絡した。
2004年の1月2日から4日まで、
2泊3日の小旅行をした。ガエタナとパウロという友人がナポリ駅まで迎えにきてくれた。
ジュウジという妹と両親にであったにはソレントの太陽がふりそそぐ、家のなかだった。
きれいに整えられた家。専業主婦のお母さんは働き者で、料理じょうず。海の幸のリゾットと、テイラミスのつくりかたを教えてもらった。
ガエタナがうまれるまでは、船乗りだったおとうさん。イタリア人男性だからもっとおしゃべりかとおもったが、ガエタナと、お母さんとジュジの3人で話すのをきいていると、いるとかしまし娘という言葉が浮かんできた。とまったのは、ガエタナのおへやで、いつももはジュウジは眠るベッドを借りた。
ナポリをガエタナと2人でいった。ソレントの街は靴とかばんで、有名だ。小さなかばん、大きな旅行かばん、あるいはポシェットなど、かわいいいものから、しっかりと一生使えるものまである。イタリアは靴とバッグでは世界一だといわれる。
ナポリでは、映画で有名なナポリの回廊や、卵城をみた。お城から見る、ナポリと、ナポリを見て死ね。といわれるのは、前になぜだろうかとおもったが、しかし、ナポリの市街をからみると夜景もきれいだし、今回はいけなかったが、カプリモンテという美術館は、数年前にき、フランスのルーブル、スペインのプラドに並んで個人的好みからいえばお気に入りの美術館だ。
ガエタナとみた海とヴェスビオ火山。ヨットの練習なのか、多くのヨットがいっせいに、海奥深く、走っていった。
ガエタナと日本語では話をしながら、家族、日本、イタリア、鯖江のことや、ローマでの仕事やアパートのことを話し、ソレントからナポリまで1時間弱で、時間をわすれたイタリアナポリでのお正月だった。
太陽と、海がすぐちかくにあり、いいですねーというと4月はもっといい天気だし今度はカプリへいきましょう。とおかあさんがいうので、国連の仕事で忙しいから、いつ休みがとれるかわからないというと、ここはイタリアで仕事がおわってもおわらなくてもゆうがた、5時には仕事をおえて、家にかえらないとからだをこわすわ、といわれたのを今思い出すと、本当にそのとおりで、いい加減にすることができにくい。今はパリで静かな生活で、毎日、ミッション中、南アジアでレストランへいって外食をしていたのとくらべると、まったくかわった。
その後、イタリアでも日本語がブームだときいた。パリも同じだ。日本の伝統文化へのあこがれは、続いている。
ガエタナ、初めてのイタリア人の友人だ。イタリアで家族を尋ねる機会がもてた。
フランスは10年ちかくすみ、何人かの友人に招待されたし、家族のようなつきあいになっているひともいる。一方、イタリアは、バングラデッシュへ行く前に3週間ほど、旅行したが、それはイタリアルネサンスを本でよんだが、実際美術館へいって、自分の目でたしかめたかったためだ。その後、イタリアへは数回いったが、いずれも旅行で、ヴェネチア、ローマ、フィレンツェ、カプリ、ナポリ、ソレント、トスカーナ地方へいき、それぞれ10日から2週間はかけて、朝早くからおきて、フィレンツェの、ウフツイ美術館に通い、ローマもあるけるだけあるいて、バチカン美術館も3回くらいいった。
イタリアローマにすんだのは、2003年11月上旬から、2005年5月上旬までの、1年半だった。その間、国連の食糧農業機関で、仕事をしたので、国連のレッスンで、イタリア語もまなんだがミッションで、中断。フランス語にかけてきた情熱に比べるとイタリア語は、会話ができるほどではないし、それもあって、イタリア人との交流、会話は困難だった。仕事場では99%英語の世界でこれも、悩みの種だった。
ある日、福井の母から電話とFAXで、ガエタナというイタリア人女性が鯖江の国際交流会館ではたらいているという話をきいて、日本語をナポリで勉強し、日本語は達者だという。それで、EMAILのアドレスをきいて、妹に連絡した。
2004年の1月2日から4日まで、
2泊3日の小旅行をした。ガエタナとパウロという友人がナポリ駅まで迎えにきてくれた。
ジュウジという妹と両親にであったにはソレントの太陽がふりそそぐ、家のなかだった。
きれいに整えられた家。専業主婦のお母さんは働き者で、料理じょうず。海の幸のリゾットと、テイラミスのつくりかたを教えてもらった。
ガエタナがうまれるまでは、船乗りだったおとうさん。イタリア人男性だからもっとおしゃべりかとおもったが、ガエタナと、お母さんとジュジの3人で話すのをきいていると、いるとかしまし娘という言葉が浮かんできた。とまったのは、ガエタナのおへやで、いつももはジュウジは眠るベッドを借りた。
ナポリをガエタナと2人でいった。ソレントの街は靴とかばんで、有名だ。小さなかばん、大きな旅行かばん、あるいはポシェットなど、かわいいいものから、しっかりと一生使えるものまである。イタリアは靴とバッグでは世界一だといわれる。
ナポリでは、映画で有名なナポリの回廊や、卵城をみた。お城から見る、ナポリと、ナポリを見て死ね。といわれるのは、前になぜだろうかとおもったが、しかし、ナポリの市街をからみると夜景もきれいだし、今回はいけなかったが、カプリモンテという美術館は、数年前にき、フランスのルーブル、スペインのプラドに並んで個人的好みからいえばお気に入りの美術館だ。
ガエタナとみた海とヴェスビオ火山。ヨットの練習なのか、多くのヨットがいっせいに、海奥深く、走っていった。
ガエタナと日本語では話をしながら、家族、日本、イタリア、鯖江のことや、ローマでの仕事やアパートのことを話し、ソレントからナポリまで1時間弱で、時間をわすれたイタリアナポリでのお正月だった。
太陽と、海がすぐちかくにあり、いいですねーというと4月はもっといい天気だし今度はカプリへいきましょう。とおかあさんがいうので、国連の仕事で忙しいから、いつ休みがとれるかわからないというと、ここはイタリアで仕事がおわってもおわらなくてもゆうがた、5時には仕事をおえて、家にかえらないとからだをこわすわ、といわれたのを今思い出すと、本当にそのとおりで、いい加減にすることができにくい。今はパリで静かな生活で、毎日、ミッション中、南アジアでレストランへいって外食をしていたのとくらべると、まったくかわった。
その後、イタリアでも日本語がブームだときいた。パリも同じだ。日本の伝統文化へのあこがれは、続いている。