何故か、思うのは身近な亡くなった人の事ばかり…
聖書の記述、
イエスが,ラザロを復活させる場面を読んだからでしょうか?
イエスは,ご自分がラザロを復活させることをご存じであり、
それでも,涙を流されました。
マルタやマリア等への友たちに対する
深い愛と思いやりを抱いていたからです。
単なる「もらい泣き」ではありませんでした。
そうした人たちの悲しみをご覧になって胸が痛み,
「霊においてうめ」かれ、泣かれたのです。―ヨハ 11:33,35。
確かに私たちも、当人の死はもちろんですが、残された、人々が、
深い悲しみに打ちひしがれているのを見るのは,
本当につらく、悲しいことではないでしょうか。
信仰の友は乳がんでしたが、
死の間際に「人々の恵みとなるように話したい」とおっしゃいました。
妹と今までで一番好きだった友は、偶然にも同じ日に急死しました。
妹のご主人の涙と悲しみは今でも忘れられません。
父母は最愛の長男であり、私のかわいい弟を若くして失いました。
今こうしている間も悲しい別れを経験している人がいるでしょう。
昨夜思ったこと、今後も別れを経験するでしょう。
先人の一期一会という素晴らしい言葉もあります。
今日という日、出会う人と
悔いのないよう、恵みとなるよう接したいということです。
そして、私たちにできることは、心からの同情心から,
「泣く人たちと共に泣(く)」ことしかありません。
歓ぶ人たちと共に歓び,泣く人たちと共に泣きなさい。(ロマ 12:15)
そう、大切なのは喜びも、悲しみもですね。
美しい夕焼け……です
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