すっかり定番となりましたが、アロハとか
カジュアルジャケットも良いかな?絽など素材を変えて…
今日のK's Garden
手前は吾亦紅、貝殻が集まったら立波草を増やして
縁取りにしたいなあ。アンの夢の家の庭のように…
ニゲラの実がいい感じになって、ドライ用に収穫するか
種用として増やすか迷っています。
聖書の植物について幾らかでも知るのは、背景の理解に役立ち、
聖書のある種の陳述の意味を正しく理解できるものとなります。
クミン(ニゲラ)のたとえを調べてみましょう
イザヤ 28章25,27節
「黒クミンが脱穀そりにひかれることはなく,
クミンの上をローラーが転がることもない。
黒クミンは棒で打たれ,
クミンはつえで打たれる」。
この例えは,北王国の直面する差し迫った絶滅に当たって、
ずっしりしたローラー付きの車の押しつぶす重みの下に入るような、
厳しくて絶え間ない脱穀を受けるかのような
残忍なアッシリアに奴隷となり、滅ばされるか、それとも、
神の鞭棒で打ちたたかれる、懲らしめに応じるかの選択の機会が
民に与えられていることを示すためであったようです。
神の懲らしめは非情なものではありません。
何故なら昔、
収穫後に行なわれたクミンや黒クミンの種の脱穀には、
脱穀機のずっしりした輪やローラーは用いず、
つぶれやすい小さな種子が損なわれないよう、
硬化したその子房を杖で、
また、黒クミンのより丈夫なさやであれば棒で
打ちたたいてなされたそうです。
その人の限界や特質を知ってそれに応じて矯正されるのです。
矯正には、主に教訓を与えたり教育したりするという
意味があり、正すことや懲らしめること、
という意味もあるそうです。
神が私たちを矯正してくださるおかげで、
私たちは神に受け入れられる崇拝を行うことができます。
「確かに,どんな矯正も,その時は喜ばしいものに思えず,
痛みを伴います。しかし後に,それによって訓練された人は
平和を味わいます」。(ヘブ 12:11)
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